古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

ちょっと哲学のこと

権威と完全な静止

机を前にする。席につく。文字をしたためる。 労いに鳥羽の方まで羽を休めに行って、昨晩帰ってきた。今日は掃除をするつもりだが、いざ朝を迎えてみると寒さが辛くて、のそのそと起きて朝食をとりながら結局いつものように悠長に本を読んでしまっていた。 …

西田、田辺と下村の間で思うこと

連日原稿の修正やテストの採点、成績処理、大学入試の対策、授業準備、研究費の申請書などで落ち着かなかった。ようやく一息ついて(正確にはまだ全然一息ついてないが)、午前の研究をする時間を得た。それでいつも通りフッサールと初期シェリング・ヘーゲ…

哲学か諸哲学か

訳あって今日は朝からだいぶ神経を使った。明日は今日以上に神経を使うことになる。他に喫緊の仕事もないので、今日は家で大人しくしていた。 なんとなくレヴィナスのフッサール論を読み返していて、『形式論理学と超越論的論理学』の中にある「哲学はただひ…

四月の進捗

新年度の一月目がまもなく終わる。以前の記事にも書いたとおり、出鼻の挫かれたスタートではあったが、概ね為すべきことを為し、もどかしいながらもそれなりに進捗を得ることができたような気がする。 大きなこととして、自動車の教習所に通い始めた。 別に…

瞬間の唯一性

西田にあまり馴染みがないという人に『無の自覚的限定』の中で一つ論文を勧めるとすれば、多くの人は慣例的に「私と汝」を取り上げるだろうが、自分は「自愛と他愛及び弁証法」を勧めてみたい。 西田の論文は一見同じような難解な論述で一貫しているようにも…

宗教的なものと現代

今日はWorkflowyの整理を少しして、方針を少し考えた。ギリシア哲学の本格的な勉強をする機会があって、せっかく仕事も辞めて時間もあるのだから今のうちに手をつけておくのもいいのではないかと思ったが、結局自分の今なすべき仕事に集中した方がいいと思い…

戸坂潤と戦後日本哲学

西田、田辺に次ぐ京都学派の哲学的重要人物は誰か、ということを問題にするとき、それは人によって(つまりその人の基底をなす見方によって)変わってくる。絶対無の哲学を宗教的なものとの関係性で考えようとする人は、おそらく西谷啓治を置こうとするだろ…

主語、助詞、格

鷲田清一の「「つながり」と「ぬくもり」」という文章が『高校生のための現代思想ベーシック ちくま評論入門 改訂版』に収録されている。この文章は学力にあまり関係なくいろいろと応用もできるし、無難なのでこれまでも自分は何度か教育現場で使ってきた。 …

宗教の問題

成人式。 神大の某教授がブログで自粛を呼びかけていた。この呼びかけの背後にどれだけの葛藤があったのか分からない。Twitterには多くのリプライがついて、多くの人の議論の場になっている。率直に言って居心地が悪い。いろんな人間がいる。それは平面に並…

インテリと大衆の間の怨恨に

なにかがおかしい。 いったいなにがおかしいのか。なにが拗れているのか。 Twitterで意識的に日常に抑揚をつけるようになってから、昔の仲間と「つながる」ためだけに使っていたアカウントはだんだん使わなくなっていった。 それどころか、そこで流れてくる…

断絶する解答——教育のデジタル化の只中で

知人からオンライン授業のことについて質問を受けた。 今回の騒動の中で、ほぼ全国一律に教育機関におけるICTの導入と整備、そしてその全面的な利用とが実現している。もっとも緊急事態宣言の解除された現在では対面形式への移行がなされており、再びその全…

語学と哲学

カッシーラーの『実体概念の関数概念』を読み終えるまでもう一息というところまで来た。この思想家に対する期待はいま、とても高い。自分の周辺でも、再検討の流れが見えるのは喜ばしい。 彼は「関数=機能」Funktion による基礎付けを志向する。Funktion 以…

Essai divertissant sur l'étude de la philosophie au ⅩⅩe siècle

単調な毎日が続いているので、気晴らしに進捗を描いてみることにした。 本当に毎日同じようなことばかりしている。 先々週くらいに今年度の大きな論文が無事通過したのでほっとして次の仕事の準備を始めた。 といっても論文自体はかなり前に出来上がっていて…

上田閑照を読み始める

少し思ったことがあり、Twitterで書くには少し冗長になる気がしたので、こちらに書く。 私が研究している西田幾多郎は、ちょうど1945年、敗戦の直前に亡くなった。 彼を中心に形成された「京都学派」は時局的な問題にも関わっており、かなりデリケートなイデ…