古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

今日は最後の大学日。あと30分程度で家を出る。これが済んだら年末に知己と過ごす。

 

掃除を終えることができた。それなりに整えたが、依然として本の多さは変わらない。増える一方だ。せめて使いやすく、また汚くならないようにした。あとはWorkflowyなどの整理を年内にやって、原稿を出して、来年のことを考える。

 

暇だ。そうでなくとも暇だが、結局ダラダラ休む。だから色々考える。考えていると堪らなくなるので、こうやって稿を起こす。

 

色々な人がその都度生きている。音楽をやっている人、やりたかった仕事に勤しんでいる人、思いがけないチャンスに巡り合ってそれを掴んだ人、そしてそれらを羨む人、妬む人、恨む人。

自分はどうだろう。

自分を「客観的に見る」ということが、どうにもできなくなってきた。昔は無遠慮に「自分を客観的に見る」ということが言えた。幼かったからである。それは即自から対自への移行で、自分というものが周りからどう見られているかということをよく考えるというような感じだった。自分が周りからどう見られているかということに神経を裂けば裂くほどに、自分というものと同時に周りがよく見える。周りが見えるから自分をそちらに誘導する。最初は気分がいいが、だんだん自分というものが虚しくなっていく。そもそも客観的に自分というものを見ることはできない。見られた自分は既に自分ではないからだ。しかし見られた自分以外に自分というものは見られない。死んだ自分だ。嘘の自分だ。客観的に見られるということを意識することがなくなる。また私は自己中心的になる。個物。

ベルクソンは「無いものを求める」ということを述べた。それは一種のステーレシスの問題で、形而上学的にはそういう「無」が問題なのではない。しかし無いものを求めるということそのこと自体はどういう認識原理によるのか。「無という充実」は現象学的に取り扱い得る(だから九鬼周造はそれを語ることができた)。問題なのではない「無」。相対無。

 

権威と完全な静止

机を前にする。席につく。文字をしたためる。

労いに鳥羽の方まで羽を休めに行って、昨晩帰ってきた。今日は掃除をするつもりだが、いざ朝を迎えてみると寒さが辛くて、のそのそと起きて朝食をとりながら結局いつものように悠長に本を読んでしまっていた。

ただ、今朝は仕事としてではなくて(それでも間接的に仕事なのだが)、前回書いた「夢十夜」問題に連なって、講談社文芸文庫から出ている芥川谷崎論争を読んでいた。彼らの温度差というのは素人にもある程度感じられるけれども、実際その人となりをよく研究しているわけではないから的を射た判定はできない。ただ、解説にもあるように「小説という文学ジャンルの本質と運命」がここで焦点になっていること、そればかりか、「今日においても文学を考えるうえで多くの示唆が与えられる」ことは疑い得ない*1。特に今日における文学の状況を踏まえると、色々と考えるべき問題を連想させられる。

今日における文学とは何だろうか。

徹底的に大衆化によって「権威的なもの」が上澄に追いやられ、かえってそうして上澄を理由に捨てられるということが今日のリアルな状況だと思う。誰もが「読み手」になった。誰もが「書き手」になった。誰もが「批評家」になった。今ここに自分がものを書いているということが、その何よりの証左だ。

「権威的なもの」が旧来嫌厭されていたのは、それが固定化されて蔓延るからである。人はそこに「つまらなさ」を覚えることがある。この「つまらなさ」が結局重要で、革命でも階級闘争でも憲法改正でも論理主義でも往々にして「上への不服」は恒常不変の「つまらなさ」である。staticなものに従うことはできない。我々は動いているからである。幾何学的図式が素人につまらなく思えるのはそういう理由だろう。我々は動かないはずの幾何学の中に動きを発見することで数学する。そこには動性がある。その動性を感じ取れない、その変わり映えのない動きのなさしか知覚できない人には、それは「つまらない」。美術館で見る絵画も、同じような運命に晒されている。動くものは興味を唆る。しかし、動くということは物理的に動くことだけを意味するのではない。しかし「動く」ということは物理的に動くことだけを意味するはずだと多くの人は思っているし、思わされている。その格律に縛られている。その限りでは、人は自らをつまらなくさせている。

鳥羽水族館大陸移動説に関する記述を目にして、ああそうだ、大地も動いているんだ、と思った。我々は大地の動きを普段知覚しない。物理的に動くと思っていることでも、素朴に考えている限りであれば知覚の範囲に限定される。その知覚が既に日常性に限定されている。しかし一方で、我々は地震によって大地が動くことを知覚している。大地は動く。だとすれば、今度は「完全な静止」の方が困難である。止まっているものは死んでいるものだとされる。近代哲学は「動くもの」を追ってきた。絶えず動くもの。しかしそこから翻って、もう一度「静止」を考えてみる必要がある。動くものの根底には動かないものがなければならない。そうでなければ動くということもない。変わるものの根底には変わらないものがなければならない。そうでなければ変わるということもないのである。

「静止」。動性の哲学に対して。動くこと、生成変化すること、その根底。否、根底と言わずに、それを「見るもの」。それを示すのが自分の仕事だ。

とにかくまずそこから考えてみなければならない。

*1:千葉俊二編『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録ほか 芥川vs.谷崎論争』講談社、2017年、p. 312。

ロマンチックに、音楽を聴くように耳を傾けること——『夢十夜』第一夜

今年のofficialな仕事が一通り片付いてほっとしている。あとはぼちぼち自分の仕事をしながら年末にかけて一年の疲れをゆっくり癒そうかな、と思う。

と言いながらもついつい仕事をしてしまうもので、教材研究の一環で漱石の『夢十夜』を読み返していた。

 

夢十夜』、とりわけその第一夜は、今の中高生には甚だ難しいのかもしれない。

小説に「で、結局何が起こったのか」「何が話として面白いのか」をデフォルトで求めてしまうのは、現代人の頗る悪い癖でもある。「話にはオチがないといけない」という特有のユーモラスも単なるユーモアを超えて、なぜか一部の人々に強迫観念として認識されている。それくらい「意味」が我々にとって渇望の対象になっているということだろうか。そういうことを考えていると、最近出版された千葉雅也と國分功一郎の対談『言語が消滅する前に』(幻冬舎新書、2021年)が脳裏をよぎった。

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この書には2017年から2021年までの両者の対談が収録されている。2017年といえば、現代思想界隈で千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)、國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)、東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』(株式会社ゲンロン)の三冊が一挙に発売されて、一時非常な盛り上がりを見せた年である。当時の自分は青二才で(今もだが)、生意気に知人らとこれらへの絶賛や批評を繰り返していたように思う。いずれにせよ本書は、千葉國分それぞれの刊本を題材に始まり、コロナ情勢も踏まえた最近の対談をも収録した、とても興味深い対談集である。

そこで千葉は最初の対談時に、次のように述べていた。

小説、苦手なんです。というか、人間と人間のあいだにトラブルが起きることによって、行為が連鎖していくといのがアホらしくてしょうがない。だって、人と人のあいだにトラブルが起きるって、バカだってことでしょ。バカだからトラブルが起きるのであって、もしすべての人の魂のステージが上がれば、トラブルは起きないんだから、物語なんて必要ないわけです。つまり、魂のステージが低いという前提で書いているから、すべての小説は愚かなんですよ。だから、僕は小説を読む必要がないと思ってるの。(p. 70)

直後に國分が述べているように、これは極めて「ラディカルなテーゼ」である。それこそ「魂のステージが低い」人は、この半ば挑発的なテーゼに対して不快感を示すかもしれない。でもこれは一つの事実言明であり、人間の愚かさに寄りかかる自慰的なものに対しての、一つの意思表明だと思う(そういう自慰性ときて、自分は真っ先に『蒲団』の書き手としての田山花袋を思い浮かべ、そこに男性的自慰とも言うべき愚かさを想起した。無論これが一つの限定的で恣意的な見方であることは断っておく)。そして当然、後述もするが、こうした千葉の言い方は極めて策略的なものである。

千葉はここでの文脈として「言語の物質性」を強調していた。「言語は物質ですからね。だから、詩を読める、読めないという言い方はあてはまらなくて、詩は意味を理解するものじゃない。オブジェクトなんです」(p. 68)とも述べているように、重要なのは「意味」解釈ではなく、視覚やパロールとしての聴覚イメージなども織り合わされた一つの物質という観点であることが示されている。意味の束縛を離れていくこと。これはとても重要な観点である。

誤解のないように付しておきたいが、千葉は2019年以後『デッドライン』を皮切りに、小説家としても活動を始めている。このことについては、この対談集の「おわりに」で以下のように触れられている。

この間、二人は活動範囲を広げたが、僕の方では小説を書くに至ったのが大きな変化だ。本書にはそれ以前の、文学に対する考えが含まれている。最初の対談では、僕は小説は苦手だと述べていた。人間が「バカ」であるがゆえに起きるトラブルに依存するようなドラマ性を批判している。このとき僕は、むしろ詩に、しかも「言語そのもの」を彫刻的に取り扱うような実験的な現代詩に肩入れしていた。この箇所は一種のユーモアとしての誇張的な言い方なので、ギョッとする読者もいるかもしれない。その後、小説に対する考えはある面では変わり、ある面では変わっていない。人間ドラマのただなかに、現代詩にも似た抽象的な幾何学を見出すことができるようになった、と言えるかもしれない。それは、人間の愚かさを描くことを受け入れないままで受け入れるような、奇妙な弁証法である。(pp. 208-209)

 

これは一つのまとまった結論だと思うが、千葉の場合はツイートのような断片的なテクストにもこうした問題に関する言説を見ることができる。

 

 

 

これらに逐次解釈を寄せることはここではしない。千葉雅也という哲学者の中で「小説」に関わって一体何が起きているのかということは極めて興味深いが、それについての本格的な研究はおそらくあと五十年、早くても二、三十年を要するだろう。かなり冗長になってしまったが、とにかく『夢十夜』を読んでいて彼の姿が脳裏をよぎったのは、この「小説とは何か」という哲学的な問いに対するこうした見解群だった。

 

「小説の筋」ということにさらに問題を限定して言えば、誰もが思い出すように、芥川谷崎論争が近代文学史上の一つの史実としてある。これについても深入りはしない。『夢十夜』に「小説の筋」がないわけでもないし、また確固としてあるとも言い難い。

一体何が問題なのだろうか。

このロマンティークをそれとして実感できるような体験、行間に意志を挟みたくなるような展開、魅力は色々とあるわけだが、とりわけこの短い小品は読者に「ゆっくり」と読むことを求めているように思う。音楽を鑑賞目的で聴くとき、二倍速、三倍速で早く早くと消化することが野暮なように、この文章を一文一文をポツリポツリと情景化することを求める。それは気苦労だろうか。ただ眺めているだけで画面が変化していく環境に、現代の我々はあまりに慣れてしまっている。自らページをめくることすら労力を覚えるかもしれない。

そうなると、文学の時間論として前置きするのも面白い。先ほどの「小説の筋」論争にしても、芥川を漱石の弟子として読むことによって、また見えてくることがあるのも事実である。こういう材料を色々用意して内容に踏み込むのがいいのかもしれない。決して授業時数に余裕があるわけでもないわけだが、ロマンチックに、音楽を聴くように耳を傾けること——これを時間論の哲学として提示しつつ、興味を惹いてもらえるような仕方で料理することが、なんだかんだで年末の裏仕事になるのかもしれない。

「日本哲学」にこだわる理由

今日は自宅に篭って自分の研究を進める日。と言いつつ、事務的なことを済ませたり、週末の準備をしたりと、結局この時間まで研究らしい研究ということができなかった。今から頑張るわけだが、すんなり研究に入る気にもなれないので、少し書いてみることにする。

 

自分は日本哲学、あるいは日本哲学史を専門にしている。

藤田正勝先生の『日本哲学史』を紐解くまでもなく、この専門領域はなかなか難しい問題をいくつも抱えている。そもそも「哲学」は唯一普遍であって、そこに日本とかフランスとかドイツとかそういう名前がつくのはおかしいのではないか、という根本的な問題から始まって、とりわけ西洋の伝統とは異なる伝統に成立してきた日本に、ギリシア以来の印欧語域を中心に発達してきた Philosophy を考えることなんてできるのか、という疑義が提出される。ロルフ・エルバーフェルト先生が「日本における哲学、日本哲学——20世紀の歴史哲学的観点」*1という論文でそういう話に触れていらっしゃるが、細かな問題はここでは置いておいて、私が「日本哲学」にこだわる理由を考えてみたい。

 

私は別に日本文化がとりわけ好きなわけではない。というより、日本文化や日本的という形容詞で装飾されたものにはむしろ忌避感を覚える。「日本」という国家的な統一体にさして興味がないからである。だから日本という形容を付すということにしばしば違和感を覚える。幼いころから書道を習って字を愛し、空手を通じて鍛錬を図り、仏教的なものに深い共感を持つ身ではあるが、いずれも決して「日本」的ではない。書は漢字文化の伝来としては中国由来であるし、空手も起源はそうで、本流は那覇手と言われるように沖縄であって所謂「日本」という国が焦点を当てる本土ではない(ここに「空手が日本のものだ」という主張における欺瞞があると思ってしまうわけだ)。仏教も言わずもがな、インドから伝来した外来宗教である。伝来舶来に拘らずに「日本」という主張をしようと思うなら、神道や皇国思想に行きつかざるを得ない。それがいかに狭隘な立場であるか、あるいは学問的中立性から言って「日本」という概念の内包に対する外延としていかに乏しいものであるかは言うまでもない。

 

こうして我々は、「日本」というものをもっと良い加減で適当なものとして考えることになる。涌井雅之が『いなしの智恵 日本社会は「自然と寄り添い」発展する』の中で「なにごとも止まらずに動いていること自体が日本人にとっては大切なのだ」ということを言っている。私はこれを国語科教員として指導の一貫で一部を読んだ限りで、全部を読んでいないから、実際上この本の評価をするわけではないのだが、主張としてはなるほどと思った。華美なものも好きだが、質素なものも好き。多様なものも好きだが、純粋なものも好き。二つのものの間を行ったり来たりするのが日本人の性状であるというこの見解は、ある程度的を射ている。しかし、だからどうした、という感想もまた出せる。この類の主張は「ケースバイケース」以上の事柄を我々に伝えてはくれない。「日本」的なものの耽美と称賛は、正直もうお腹いっぱいだ。それでは少なくとも私は充足できない。

 

日本とは何だろうか。そういう問いを哲学的に本気で提出したいと思っているわけではない。

半面そういうことに興味がないわけでもないが、これが私の「日本哲学」へのモチベーションというわけではない。もっと別のものが源になっていると思う。

 

私は日本語しか喋れない。英語もドイツ語もフランス語も下手だ。恥ずかしくて、とても人前で披露できるようなものではない。だから日々少しずつ努力はしてみているが、なかなか上達は見込めない。だから結局日本語で話すし、書くしかない。

哲学という営みは、思想形成と非常によく関わっている。だからと言って単なる思想は哲学ではない。このあたりを「日本」的な考え方で(私はこれを「日本的な論理」などとは口が裂けても言えない)、思想と哲学を一体的にうまいこと捉えるのが大事だ、みたいな話をしだす人とはそれ以上の話はきっとできない。論理というのは一でなければならない。そこに洋の東西があってはならないと思う。西洋的なものの見方、考え方というのはあるだろうし、同様に日本的、東洋的なものの見方、考え方というのはあるだろう。しかしそれを「西洋の論理」「東洋の論理」と言い出したらおしまいではないか、という気がする。西田は『日本文化の問題』で「私は西洋論理と云ふものと東洋論理と云ふものと、論理に二種あると云ふのではない。論理は一でなければならない」*2とはっきり述べている。このことの意味が再度よく考えられなければならない。だから哲学もまた、根本的な問題内容については答えは「一」でなければならない。我々というものが生まれ出でるところについての考察は、多様ではあり得ない。一でなければならない。そこに論理というものが考えられなければならないし、学問としての哲学というものの意義があると思う。それを「考え方、見方が狭い」と言ってとがめる人があるとすれば、その人こそよく反省した方がいい。耽美や順応に帰着する考えは娯楽的ではあっても学問的ではない。哲学は文学でも美学でもない。このことを誤解してはならない。西洋が合理的と言われるのは近代西洋が学問的だったからである。それに対して非合理的なものを日本の特色として賛美することは全く哲学ではない。東洋的なものの見方や考え方が非合理的なものを確かによく把握しているのは一面事実であるかもしれない。それは西洋的なものの見方や考え方が合理的に物事を把握するのに長けていると言えるなら、それと同じように言えることだろう。しかし、それだからと言って、東洋的なものが非合理的なものを大切にするとか、感情とか感覚的な生を謳歌するとかいうのは、あまりに思慮が浅いと言わなければならない。我々は、敢えて言うなら、東洋的につかまれた非合理性というものを、西洋的に彫琢していかなければならない。非合理でよい、というのは、己の浅ましさ情けなさをただ暴露してあぐらをかいているだけである。あまつさえ西田もそういう主張をしたと考えるなら、私はそういうものから西田を守らなければならなくなる。非合理なものへの欲動は、文明の未開に対する郷愁である。回帰である。ただ帰ればよいわけではない。そこには「進む」ということが考えられないからである。

 

だから私はもし「日本哲学」が一つの文化的楽園のように考えられているのなら、そこには全く賛同しない。日本哲学というのは、徹底されればこの現在である。今この瞬間に、日本中の哲学者が、あるいは海外における日本人研究者が、あるいは海外の日本哲学研究者が、日本哲学を形成している。つまり日本哲学というのは、もはやこの時代においては閉じたものではあり得ない。常にどこかで穴が開き、塞がり、そうして何らかの意味で総体的に捉えられるものにすぎない。そして私は、日本人がもっと全体として、深くものを考えることを促したい。無論これは究極的には世界中の人がそうなることを望むが、私にとってそういうリアリティはまだ薄い。一人の教育者として、日本語で育った子供たちがものを考えるということを助けたいと思う。日本語で育つ子供たちのための哲学というものがなければならない。それは日本という国家の形成に寄与したいという欲望とは個人的には無縁である。終身斉家治国平天下と言われるように、個人の形成は国家と呼ばれるものに何らかの意味で寄与をもたらすだろう。それは事実であろう。しかし私がしたいことは、あくまで一人の人間として生きざるを得ない労苦の世界に生きる日本語で育つ子供たちに、日本語で語り得る哲学というものを提示したいということである。この国には、まだそういう哲学がない。哲学は非常に重要なものであるが、それはなお「海外」のものという色彩が強い。外来の思想の遊戯に留まっているものも多い。自ら考えるという意味での哲学がまだ十分でない。

 

そういう意味で、どこまでも学問としての哲学の立場をとりつつも、それが「日本語」で行われるということにこだわるが故に、私は「日本哲学」を気に掛ける。これは断じて国家主義でも国粋主義でもない。ただ、我々が育つところには「言語」があるのである。日本語という言葉がある。我々は日本語によって日本的になると考えることもできる。そういう意味で言語は国家に先立つ。無論、現状の日本語が国家的に統制されたとかいった無粋な横槍もあるだろうが、我々が育つ言葉によって学問的に思想が形成されるということが、私の意図である。

*1:Rolf ElberFeld, "Philosophie in Japan - Japanische Philosophie: Geschichtsphilosophische Perspektiven des 20. Jahrhunderts". Polylog. Zeitschrift für interkulturelles Philosophieren., Bd.10/11, 2004.

*2:西田幾多郎全集』第12巻、岩波書店、1966年、p. 289。

冬のノスタルジー

昨日採点業務が終わって、レポートも一通りチェックした。

あとやることは来週の発表準備と翻訳、そして年度末報告書のため研究だ。

 

ともかく色々落ち着いてきた。それに合わせて、いろんなことを感じる。冬は冬のノスタルジーがある。今日は雨だったので最低限の仕事だけやって、あとは映画を見たり音楽を聴いたりして過ごした。これから行きつけの居酒屋に飲みにいく。オフだ。

 

土日は家族が家にいるため、気を使ってどうも十分休めない。だから結局土日をオフにすることができず、中途半端に仕事をしてしまって休めないということがよくある。案外平日の方が休める。今日はそういう日だった。

 

青春をスポーツではなく音楽に捧げた人間の特権かもしれないが、音楽を聴けば簡単に過去を思い出すことができる。音楽がそのまま過去への通路になっている。特定のメロディーがある感情との結びつきになっている。それは広い世界への通路ではない。むしろとても狭い、限定された、世界がそこにしか存在しないような儚さを伴った世界につながっている。そこに感情がすべて溢れている。非日常的で、それは正しく現実ではない。多くの人がおそらく「感動」と呼ぶものだと思う。

 

愚かであればあるほど感動する。心動かされる。そういうことが言えるのではないかと思う。

感情的な人間は愚かである。例外はない。反省がないからである。自己自身を振り返ってみるということがないからである。自覚がないからである。

この文言を見てすぐに「愚か」という言葉に飛びついて不満を持つ人が感情的な人間である。あるいは、単に思慮が浅いと言うべきかもしれない。そう言えば「思慮が浅くて結構だ、感情的で何が悪い」と開き直るだろうか。自分が言いたいことは、まだ一言も言っていないのに、おそらく人はこのプレリュードで既に全てを見た気でいて、私を誤解する気がする。そういう意味でも、やはり愚かである。

 

私が言いたいことは、私が愚かだということである。孔子は四十にして惑わずと言った。不惑は動じない心であり、不動である。ある意味では感動しないということである。感動しないということが、一つの成長であり得るということ、このことを問題にしたい。

 

冬のノスタルジーは愚かさと直結するわけではない。ただ、狭い世界で感動するということが冬の感動であるように思う。これはいつぞや書いた夏の表象ともやはり違う。

 

picassophia.hatenablog.com

 

季節と感情。そこにはまだ言葉になっていないものがたくさんある。

いったいいつになれば、そういうことを落ち着いて眺めて、言葉に紡ぐことができるようになるのだろう。

 

 

夢日記

7時半起床。頗る嫌な夢を見た。

連日の授業準備や企画もひとまず落ち着き、喫緊の締め切り仕事も一旦片がついて、少し落ち着いて研究ができる、あるいは余裕があるはずだったのが昨日だ。少なくとも月曜の夜まではそう思っていた。

だが、実際は起きてフッサールヘーゲルを読んで、散歩がてら散髪に出かけて、帰ってきてからはほとんど本格的な研究に集中できなかった。あれもこれも目につく、という状況があまりよくなかったのかもしれない。近場にある研究会、12月の発表(これはスライドと原稿両方準備しないといけない)、デスクトップ上に置かれた新カント学派の原稿、右を見れば読み残した海外文献、邦語文献、左を見れば長らく滞ってしまっている語学書。特に何をしているわけでもないのに、なんだかそれだけで疲れてしまったような気がする。

それで気分転換でも少ししようかと思ったが、驚くことにその気もおきない。当然本を読む気力はない、小説も新書も勘弁だ。かと言って雑録をしたためることもできない。楽器を弾く気にもなれない。寝て英気を養うしかない。そう思って、昨日は夕方に少し寝て、起きてまだだめで、夕食をとったあとはまたすぐに寝た。8時半くらいだったと思う。

実質的には眠りについたのは10時くらいだったかもしれない。ただどうも寝具の調子が悪いのか、首回りが変に痛いし布団は歪な形になるしで、正直に休まらなかった。それでか分からないが、そうやって頗る嫌な夢を見た、というわけだ。

 

本当に嫌な夢で、しかもリアルで生々しい夢だった。高校時代大嫌いだった教師から、しつこく嫌がらせを受ける夢。ベルクソンの『物質と記憶』に散りばめた付箋をぐちゃぐちゃにされ、つまらない気取った本を読みやがって、と一蹴される夢。ああ、なんでこんなによく覚えているんだろう、と思う。夢の中での憤慨も実にリアルで、そうやってまた生徒の立場から見た、不釣り合いな教師の横柄さに唇を噛み締めるような体験だった。

当然目覚めは最悪だ。しばらく放心するしかなかったし、そう易々と切り替えて「今日もがんばろう」なんて清々しい思いにはなれない。やけに晴れた空の青さが嘘くさくて仕方ない。

 

それでとりあえずこうやって稿を起こした。今日は昼から研究会がある。研究会に出れば、いつも通りの自分でいられるだろう。身体がしんどいわけではないから、きっとそこの心配はいらない。だが一人でいると参ることが多い。かと言って身近に人がいればいいというものでもない。

 

よく寝て食べることだ、と思う。それでも夢に魘されるなら、どうしろというのだろう。

西田、田辺と下村の間で思うこと

連日原稿の修正やテストの採点、成績処理、大学入試の対策、授業準備、研究費の申請書などで落ち着かなかった。ようやく一息ついて(正確にはまだ全然一息ついてないが)、午前の研究をする時間を得た。それでいつも通りフッサールと初期シェリングヘーゲルの研究をしようと思ったのだが、フッサールをほんの少し読んだ段階でどうも精力が尽きてしまった。それでなんとなく気分を変えて、下村の初期論文にでも少し着手してみようかなという気になった。

 

下村寅太郎著作集』は正直に言って使いにくいなと感じる面も多い。田辺のように初期以来の論文が配列的に編纂された「研究対象の基礎文献」ということが第一義的ではないし、生前から刊行がなされたという意味で若干の「自己満足」を匂わせるところがある。ケチをつける感じになってしまうが、下村という人間からそういう気配が一切ないとは断言できない。むしろ所々にそういう気風が漏れ出ているような気もする(歴史的文化人に対する凡庸な個人の感想である)。

 

下村という人がどういう人だったのかということについては、雑談の中で耳にする断片からはよく分からないことが多い。実際下村についてのまとまった研究者がいないのだから、ほとんどの場合はみんなイメージとかで語っているに過ぎないというのが実情なのだろう。自分としては、『西田幾多郎全集』の編纂に携わったイメージなどからして、他の編纂者や関係者に比べてよっぽど精密で文献学的な距離感を保って論じているような気風を感じていたから、それなりに信用してもいた。自分の未開拓な専門についての数少ない先駆者であり、西田の著作の中で『自覚に於ける直観と反省』の意義などを評価していたところなどから贔屓目で見ていたところもあったかもしれない。

 

しかし実際に下村の書いたものを自分で紐解いてみると、案外面白味がない。というより、「哲学」がない。徹底的な掘り下げ、根本的な批判というものが、どこか足りないような気がする。これはある意味下村自身自認していたところで、たしかどこかに書いてあったと思うが、下村は自らをhistrian(歴史家)としてむしろ自称していたと思う*1。このことを逆手に西田、田辺に対して批判的な態度をとっていた面も垣間見えるくらいである*2

重要なのはこのとき「歴史家」(historian)とはいったい何を意味するのかということなのだが、下村の数理哲学を考えると、初期からそういう問題に隣接するような構えがないわけではないということに気づく。

今しがた読んでいて思ったのは、1932年に『哲学研究』に発表された「数理哲学の一指針」で下村が数学の基礎づけについて既に公理主義という性格に限定して問題を考えようとしていたところに、既に下村の「歴史主義」があるのではないか、というようなことである。下村が次のように述べている箇所がある。

「今日の数学」は形式主義的Axiomatik〔公理主義〕である。数学は形式主義的Axiomatikになった〔「なった」に傍点〕。数学はAxiomatikとなることによって以前の数学と区別される。むしろ、数学はAxiomatikとなることによって独立した〔「独立」に傍点〕。すべての今日の数学の基礎に対する考察はこの観点よりなされねばならぬ。それによって始めて今日の数学の概念や方法の整合的把握が可能となる。*3

下村自身が直後に「このDogmaの導出」という表現を用いていることにいろいろと違和感があるが、ともかく下村の焦点がこうしたAxiomatikの特徴にあったことは、「数理哲学」的に見て穏当であるし、納得できないわけではない。このとき「今日の数学」が強調されているところに歴史主義という側面が当然読み込まれ得るわけで、初期西田や田辺の基礎づけの問題とともに新カント学派的な基礎づけの意図は既に一定度外視され、あくまで進展する数学に追従しそこに競うような問題設定がなされているということは言い得ると思う。そうした問題は、なるほど歴史的なものを射程に含めた展開になるが、西田的な観点から考えてみれば、やはり所与の問題に固執ないし拘泥してしまっているような感がある。「すべての今日の数学の基礎に対する考察は」という文言一つとってみても、下村の態度に関していろいろな含意が読み取れて面白い。

しかし肝心のそうした限定的な射程での取り扱いは、西田や田辺の数理哲学を念頭に置いた上で考えると面白味がない。それは「今日の数学」を前提にせざるを得ない。哲学的主張にハイデガーが持ち込まれる際に特に自分が違和感をもつところだが、所謂「被投性」(Geworfenheit)や「負課」の考え方にはなお掘り下げるべき点があるように思える。普通多くの人はそこに環境的制約、所与というものを読み込み、人間存在の運命論や有限論につなげていくわけだが、自分としてはもう少しそのあたりは深く考えてみないといけないと思う。結局この問題が言い回しの変化による心理主義的所与の亡霊の再来なら、哲学は再び19世紀前半に逆行しているということになるからだ(もちろんまったく同じというわけではないにせよ)。

そういう理由で、数学の問題を考える際にも歴史主義にはなお一つ問題にしたいところがある(これは田辺の『数理の歴史主義展開』についても一定考えてみたいことである)。

 

下村のように西田についても田辺についても全集の編纂などを通して多くの情報を持っていた人物で、しかも数理哲学に理解のあった哲学者が、なぜ初期の数学的関心に紙幅を割こうとしなかったのかというのは、長らく素朴な疑問だった。自分の浅はかな推測だが、やはり下村も常識的なレベルでしかものを考えられなかったのだろうか。常識的なものの根底にかえってそこから常識に戻るということがなかったのだろうか。下村はフィロロジカルで、「学者」として大いに尊敬すべき人だと思うが、やはり本人の自覚通り「哲学者」として評価するのには難しい側面があるな、と思う。

*1:今確認した限りでは、竹田篤志が「〔……〕「哲学者」としての自己のあり方を"historian"であると自覚し、〔……〕」というようなことを述べている(『下村寅太郎著作集』第13巻、みすず書房、1999年、p. 670)。

*2:例えば『炉辺空語』というノートに1975年6月8日づけで「西田先生も田辺先生もlogicianである。歴史的senseは稀薄である」という記述が見られる(同上、p. 565)。

*3:下村寅太郎著作集』第11巻、みすず書房、1997年、p. 7。