古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

宗教的なものと現代

今日はWorkflowyの整理を少しして、方針を少し考えた。ギリシア哲学の本格的な勉強をする機会があって、せっかく仕事も辞めて時間もあるのだから今のうちに手をつけておくのもいいのではないかと思ったが、結局自分の今なすべき仕事に集中した方がいいと思い直した。今なすべき仕事を淡々とやること。それでいい。

 

それで、今日も手持ち無沙汰というか、どういう振り切り方をするかで少し惑った。この土日はそれでいいのだが、休むということができない。ギターを弾いてもドラムスティックを握っても「不足」を感じて練習をしてしまうし、何もせずにただ座っていても周りに積まれた本をつい手にとって中途半端に読んだりしてしまう。我ながら情けない。そういう自分を反省して、また色々考えてしまう。「閑暇」(スコレー)はやはり暇なのだ。自らの人生というものが迫ってくる時間であると思う。パスカル的なものをなお追究する余地がそこにある。そして、宗教の問題というのもそこにあると思う。

 

一方で、最近の自分はもっと俗人的なものを考えなければならない、ということも強く感じるようになった。俗人的という表現がふさわしいかどうかは分からないが、とにかく宗教的なものとか、人生問題とか、そういうものがある意味で遠くなってしまった「凡庸なリアルさ」の方に関心が向いてきたということである。正確に言えば、もともと自分の出立点というのはこちらの方であった。いつぞや書いたことでもあるが、そもそも高校生のときの自分にとって哲学というのは、「なんの勉強もできていない凡庸な自分が今感じているこの生々しいリアルさを説明できるような真理でなければ、真理とは言えないはずだ」という確信を頼りに参照軸にしたものであった。その意味で学科的な意味の強調された「哲学」にはとりわけ深い関心を持っていたかは怪しい。その正確な理解も怪しい。当時の若き自分は「哲学」を修めようと真剣に考えていたが、修めたものが学科的な意味での「哲学」として適切であったかは頗る反省の余地があるわけである。たまたま先日部屋を片付けていて、学部の頃の哲学のノートなどをみつけたが、およそ哲学の伝統的な問題というものをまるで理解していない薄弱な理解が目について、とても読めたものではない。「自分」というものについては人一倍真摯に考えたようではあるが、それでも当然「真の自己」とかそういったものではない。そこにはただ「自分の関心」と無理やりこじつけながら伝統的な問題を吸収しようとする痛々しい努力が刻まれていて、苦笑もできない。

 

これでも本人としては、青年特有の反骨精神というものが色濃く出たわけでもないのだから一層皮肉なことである。当時の自分は真面目に所謂「正当王道」な哲学を謙虚に勉強しているつもりであった。ただ、理解の仕方があまりに軽薄であった。「なんとなく分かることがある」というだけで始めた頃は盛り上がれるものだが、薄弱な理解ですぐ自分の問題に応用していこうとするところがあるのは、まったく基礎を欠いていると言わざるを得ない。今これだけ「基礎づけ」を自身の研究の中心に据えているというのも、ある意味自然な移りゆきだったとも言える。仮に自分の指導学生だったとしたら、やはりそのことを指摘するだろう。自分の恩師らもやはりそういうことを厳しく咎めたのだった。だから学部三、四年くらいの頃からは、とにかく「自分がそこに確かに立っていると言えるような足場」を強く求めたものであった。今振り返れば、学部の頃は極めて自由に勉強ができたが、およそ勉強というには自分の基礎的な力の不足を感じる機会の方が多く、コンプレックスに悩まされた時期でもあった。時代遅れかもしれないが、「煩悶青年」の自覚を持って日々を過ごしていたわけである。だから自分にとってはかけがえのない時間として記憶されているし、それは自分にとってなによりのノスタルジーとしてある。

 

まあそんなことはこの場ではどうでもよい。別にそういうノスタルジーを人に理解してほしいと思っているわけでもないし、自分のことを特に知らない人に分かると言われても困る。

 

とにかく、自分は色々なものに触れることができた。自分のような生来自信のない人間は、誰でも知ってる名前の売れた大学に行くよりも、地方の豊かで慎ましやかな生活の方がのびのびとものを考えることができたわけだ。人と生き、宇宙を仰ぎながら生きることが何よりの悦びだった。今の生活は宇宙を仰ぐということがない。宇宙によって孤独という生を感じるということがない。そこに根本的な郷愁がある。

 

そういう読み方をする人もいないとは思うが、念のために述べておくと、別に自分の故郷が宇宙だなどということを言っているわけではない。宇宙は我々を包んでいる。その意味ではいたるところが自分の故郷ということになる。それではそもそも故郷ということの意味もなくなるのである。宇宙を仰ぎ見る自分の心情がカントの述べるような「感嘆と崇高の念をもって心を満たす」ところの星の輝く空と近しいかどうかは分からない。別のものでもないような気はする。西田は寂しさのある日本海を眺めたという。そういうものが自分にとっては故郷の宇宙であるということは言えるかもしれない。宇宙は必ずしも仰ぎ見るものというわけでもなかった。田舎のコンクリートに寝そべって、一面の星空を仲間と眺めた。仰ぐよりももっと近かった。ああいう経験を郷愁と呼んでいる。

 

別にそういう話をしたかったわけではないのだがつらつらと書いてきてしまった。

本題に戻ろう。

 

「なんの勉強もできていない凡庸な自分が今感じているこの生々しいリアルさを説明できるような真理でなければ、真理とは言えないはずだ」という確信。これが自分にとって根強いモチベーションになってきたことは、おそらく間違いないと思う。西田哲学に惹かれる理由というのも、根本的にはそういうところにあると思う。所謂自然科学的世界観では、真理は我関せずに実在するとされる。我々人間の有限な認識によって帰納的に漸近線的にその認識の「正しさ」が確かめられていく、その仕事が自然科学の仕事であるというのは、やはり現代においてもあまり変わっていないようである。そうなると、我々が自然の認識について「誤る」ということはほとんど全ての場合に言えることになる。世界には「正しさ」が常に存在していて、その規範に照らし合わせて認識の正誤が確定する。この認識がロック的な素朴さを持っているとは言わないまでも、やはり一つの「作られたイデオロギー」であることは十分指摘できると思う。結局その「正しさ」というのは人間的なもののうちでまずは共有されるのであって、そこに「正しさ」を基軸とするヒエラルキーが成立する。つまり「正しい自然認識」を最も多く獲得している人間が成立することになる。そういう像を理想的に立てたらあとは全ての人間がその個々の自然認識の「正しさ」を獲得している数に応じて序列化するということが生まれてくる。難しい話ではない。我々はこういうことを学校教育で日常的にやっているわけである。もちろん個々の「正しさ」の精緻の度合いや優先順位も存在するわけだが、本質的には次元が拡張するだけで、いずれも高い-低いを軸にある程度並べれば済む。偏差値というものはそういう仕方で考えられる。言い換えれば、偏差値的序列化のヒエラルキーというのは「正しい自然認識」を外延的な集合と考え、我々一人一人がその要素をどれだけ共有しているか、言い換えればその部分集合がどれだけ全体に近づたものであるかを検見した結果であるということである。当然学校教育においては「正しい自然認識」なるものがそもそも多くの前提の上に成立した「コンベンショナルな正しい自然認識」であるわけだから、その内容は極めて多くの条件の鎖に繋がれている。この条件というものをあたかも「無いもの」であるかのように扱うと、シンプルでわかりやすい「序列表」ができあがるわけである。

とにかく「正しさ」を以上のように一種の自然の実在性として考えるやり方は、凡庸な仕方で歪曲化されやすく、そして我々の教育形態に関わるようなイデオロギーに発展し得る側面も持ち合わせていると言える。実のところ「正しさ」が自然の実在性のうちにあるという考えは、思弁的実在論などが挙げられるように、今なお一つの論点である。科学系の知り合いと話しても、彼らは自分のやっていることが諸前提の上に成立した蓋然的な知識の生産でしかないとは決して考えない。彼らは数式を駆使することによって、あくまで「客観的な」(この言葉を使うことが多いようだ)真理を追究している。そしてそれは正しいはずである。哲学の人間が彼らの方法を軽々しく「蓋然的帰納的」と称するのはあまりに傲岸であるし、誤認であるようにも思う。そりゃ科学者は哲学者の言い分を「詭弁だ」とも言いたくなるだろう。自然の正しさについて考えるには、もっと広い見方が必要だということになる。

ところで我々の自然認識は多くの場合もっと愚鈍で(私だけかもしれないが)、仮定的な考えから漸次発展していくという形態をとる。この点は、田辺の言葉を引用しておくのが手っ取り早い。

元来研究は常に動いて止まざる不断の生長過程である。今日到達せる結果も明日は更に止揚せられて次階の進行を媒介するのでなければならぬ。併し同時に昨日の思想も必ずしも全然否定せられるのではなく、部分的実質的には其多くが保存せられて、唯全体の抽象的なる立場が具体化せられる結果、新なる立場から新しき観点に於て観直されることを必要とするといふのが、研究の進歩に於ける常態である。却て現在否定せられる過去の立場が現在への媒介として必要であつたといふことが思想の発展には認められなければならぬ。固より抽象過誤偏見の当然清算せらるべきことはいふまでもないが、具体的に現在の思想発展を了解するには、此等の清算せられたものをも一応は考慮することが望ましい。*1

そういう意味では、「誤り」というのは弁証法的な契機である。「なんの勉強もできていない凡庸な自分が今感じているこの生々しいリアルさを説明できるような真理でなければ、真理とは言えないはずだ」という確信も、この点から一応説明することができる。ただ、それは「正しさ」に導かれているとも言い難いし、その意味で田辺の言説に全てを回収することはできない。田辺の考え方では、いつまで経っても「正しさ」は常に更新されていくということになってしまう。それだと「今の生々しいリアルさ」は十全ではない。この点でむしろ西田が必要になるわけである。なんの知識もない、なんの「客観的」正しさなるものも知らないということが、そのままに肯定されるということ。それは先ほど述べたような知的ヒエラルキーに干渉しない。田辺の以上の考え方はむしろ積極的にそこに参与していく。西田の場合、別に「向上心」的なものがないわけではないが、そういうものからある程度自由なところがある。

 

とはいえ西田はもっと泥臭いところがある。その後の京都学派の宗教的系譜を見ていると、自己の苦心とか不条理とかいったものがもっと削ぎ落とされて行ってしまうようなところがあるように思う。ある種の「境地」に行ってしまうわけだ。西田は確かに明らかに『無の自覚的限定』以後、異質な「境地」を積極的に語っていくようなところがある。『一般者の自覚的体系』で絶対無の自覚まで深化して、「裏から表を見ようと努めた」『無の自覚的限定』では、絶対無の自己限定ということが問題の中心になるから、必然そこにはある種の「境地」が前面に押し出されてくる。『一般者の自覚的体系』での問題に沈滞してから『無の自覚的限定』に進むと、そういうところで少なからず困惑することになる。しかしそれにしても、西田はそういう「境地」に全てを回収するということで落ち着くわけではない。むしろそこから全てが始まらなければならないという位置づけでそれを問題にするわけである。そういうところをあえて泥臭さと言っている。境地それ自体のある種の安寧や神聖を説くということはあまりに「清潔すぎる」のである。そもそも清潔とか不潔とかそういうものを包み込んだところが考えられるとはいえ、我々にとっての問題はむしろ清潔であるとか不潔であるとかいうことそのこと自体なのである。その意味では清潔とか不潔とかではなくて、という話がそもそもある意味で既に「清潔」なのだ。だから、もし境地の話が戸坂の述べたような「意味」の話になるのだとすれば、それはよくできた「最も高等な現象学」であるということになるわけである。西田の場合、単にそれだけとも言い切れないところがある。

例えば西田は『無の自覚的限定』で、絶対無の自己限定を定式化する際にアウグスティヌスなどを参照して「永遠の今の自己限定」という発想に至っている。それで、アウグスティヌスを参照してみると、なるほど「敬虔」な想いもする。「すべてを知りたまう神」。ライプニッツだなと思う。そういうところにシンパシーも覚える。

だが、そういう考え方に「落ち着けるはず」なのに「落ち着けない」というところが自分にはある。最も落ち着けるはずの宗教的境地というところになおも落ち着けなさということを覚えるということ。もちろんこれは、自分がそういう宗教的境地のような感覚を些末ながらも持ち合わせているという前提に立っている。これについても論じるべき点は多くあるわけだが、ひとまず割愛しておいて、「それでよい」はずが「それでよくない」という問題になるのは、やはり「他者」がいるからなのだ。自己の安寧は自己の安寧ではなくなるのである。

だから例えばライプニッツの世界観で特に面白いのは、我々がモナドとして予定調和の元にあり、全ての事柄がそこに表象される、その「全て」が十全に確保されているという「落ち着きどころ」がある点にある。一種の演繹的世界観と言ってもいいかもしれない。もちろん個物であるモナドは、すべてを十全に知ることはできない。すべてを知るのは神のみだからだ。なによりも「神は全てを最も善くなるようにしている」。ア・プリオリに全てを知るということ。そこに「落ち着きどころ」がある。

アウグスティヌスにしても、永遠を所有する神に、またそれに対する我々の「あわれさ」やそれに対する神からの「あわれみ」が語られるというところに、なんらかの意味での「落ち着きどころ」がある。

 

そういう「落ち着きどころ」が「落ち着けなくなる」ということ。そこに現代に他者と共に生きるという意味があるような気がする。多くの問題が語られる現代。環境問題、政治問題、倫理、教育、情報などの問題。そこに積極的に参与するというのは、明らかにア・プリオリな話とは——やはり——「別のこと」なのだ。そしてむしろ我々はそういう「歴史的世界」に於て生きているはずなのである。

 

「落ち着きどころ」が「落ち着けなくなる」ということ。宗教的なものと現代。永遠的なものと過ぎ去っていくもの。やはりそれを考えるというのが、自分の哲学なのだろうと思う。

人生問題以上の問題はない。しかし人生問題は、今ここに於て問題であるということでなければならない。しかもそれは自分一人の人生ではない。そこに矛盾がある。自分の人生が既に他人との関わりの中で生成されている。自己の安寧は既に他者の安寧に関わっている。にもかかわらず自己は他者とはどこまでも区別される。自己の人生は他者の人生ではない。そういう問題を考えなければならない。

*1:田辺元全集』第3巻、筑摩書房、1963年、p. 76