古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

上田閑照を読み始める

少し思ったことがあり、Twitterで書くには少し冗長になる気がしたので、こちらに書く。

 

私が研究している西田幾多郎は、ちょうど1945年、敗戦の直前に亡くなった。

彼を中心に形成された「京都学派」は時局的な問題にも関わっており、かなりデリケートなイデオロギーを持った集団としてみなす人も、かつては多かったようである。

 

そのため西田哲学が純粋に一つの思想・哲学として研究されるには、50年以上の時の経過が要された。21世紀に入ってようやく、「新しい西田哲学研究」が開始した、というのは我々の一つの通念となっている。

 

そんな「新しい西田哲学研究」の切り開きに貢献した研究者として名高いのが、今回題目にも挙げた、上田閑照氏である。

現代において、西田哲学を研究するならまずは彼の著作を読むのが良い、というのも、一定の同意を得られる認識だと思う。

未だご存命であるし、私の周りの先生方は「上田先生」と呼んでおられるから、私も一応それに倣って以下では上田先生と書かせていただく。

 

私も当然いくつか著書を持っている。

ただ、恥ずかしながらほとんどちゃんと読むということができていない。

西田哲学を研究するならまずは……とまで言っておいて読んでいないというのは、研究者としてどうなんだ、と思われるだろうし、私としてもむず痒い。

少し弁解を許してもらればと思う。

 

私の師も「新しい西田哲学研究」より駆け出した研究者であった。

早逝されたが、私が研究に行き詰まりを覚えたりする時はいつもそこに戻ってくるような著作を一冊お書きになっている。

今日も訳あってペラペラと頁を繰っていたが、その中で参考文献を遡って、そのまた参考文献を遡って、を繰り返していると、やがて上田先生に辿り着いた。

 

私にとって上田先生の著作は、通念のせいで却って距離を感じるものであった。

師は「西田哲学の中に自身の立脚地を求めて研究しようとする者は、上田先生の西田論に対して態度を決定することを避けて通ることはできないと考えている」とまで言われている。

この言葉に早くから触れてはいたし、いずれはかならず上田先生の本を読まねばならない、と強く思っていたことは事実である。

ただ、いざ上田先生の本を読み始めると、どうも距離を感じてしまって、言葉がうまく入ってこない。

読書体験というのは不思議なもので、無機質に「読めば良い」というものではなく、もっと生々しいものであると思っている。

読書に慣れていない多くの人が読書に飽きてしまうのも、こうした無機質な感覚に束縛されているからではないのか、と密かに思っている。

優れた著作は「読まされて」しまう。自分が自発的に読むではなく、気がつくと頁を繰ってしまっている。そういう読書体験が、人を読書に向わしめる大きな要因だと思う。

 

上田先生の本が私をして「読ませる」ほどの力を持っていなかった、などというわけでは決してない。

そうではなくて、恐らくそれは「私」の側の問題として、むしろ上田先生の本を避けてしまうような心理状態があったのだと思う。

 

師は「自分にはついていけない」という感覚を上田先生の本に見出している。私は、なんとなくこれに引きずられるところもあったかもしれない。それは、師の言葉に引きずられて、師がついていけないものを私などにはついていけない、と思ったとかいうことではない。そんなに私は謙虚ではない。

 

そうではなくて、上田先生の言葉に触れたとき、その「計り知れないなにか」を直感し、却って距離が強調されてしまう、ということだと思う。

言い訳がましく聞こえるかもしれないが、西田も言うように、本を読んで理解するということには、その人の思想まで自分が行かなければならない、ということがある。

自分が行くとかそういうことかどうかはわからないが、とにかく自分にとって深刻な問題であればあるほど、著者との距離というのはデリケートになってくる。

 

そういうわけで、私は今までなかなか上田先生の本を読み進めることができなかった。自分との距離が様々な点で問題化され、集中できなかったのである。

 

それで、今回遡って改めて上田先生の本を手に取った。

今回は参考文献で挙げられていた「あとがき」部分を読んでみた。

そこで、上田先生との距離が少しだけ埋まったような気がした。

決定的だったのは、次の文章である。

 

ところで、純粋経験は西田哲学理解の問題であるだけではない。西田が「色を見、音を聞く刹那」と言うとき、そのように西田が言う「見る」「聞く」は、ほかならぬ私たち自身の「見る」「聞く」の事である。「見る」「聞く」とはどういうことか。「見る」「聞く」とき、どういうことが起こるのか。その問に、私たちが、否、この私が「見る」「聞く」とき、ほんとうに「見て」いるか、ほんとうに「聞いて」いるかという問が重なったとき、問は私にとって深くて限りない射程をもった問になった。*1

 

このことが書かれていなければ、私はその人の西田理解に疑問符をつけざるを得ない。

私の西田の読み方は、傲慢ながらもそういう読み方であった。

 

未だに私はこのパッセージをとっても、不可解なところがあったりする。

それはあいも変わらず「自分にはついていけない」ようなところであると思う(このような表現は、これを読む方々には恐らく誤解されるだろうが、まぁ良い)。

重要なのは、そこにどのような「私」が入り込んでくか、という点である。

 

ここでは深入りはしないが、西田哲学研究はそれが研究として行われる限りにおいては、「私」を入れることを差し控えて行かなければならない場面も多くある。

しかし、究極的には「私」を入れることなしに、この問題は問題たり得ないのではないか、そういうところを西田は見ていたのではないか、というのが、私の西田の(傲慢な)読み方である。

 

今回たまたまそういう一節を上田先生の言葉の中に見出せたのは、良い機縁かもしれない。

今回掴んだ距離を頼りに、また読んでみようかと、そう思った。それだけの話である。

 

*1:『西田哲学への導き』同時代ライブラリー, 1998, pp. 271-272