古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

研究費問題

急に夏が終わった。

一気に寒くなったせいでお腹を下したり怠さを感じたりしていて、研究がうまく進まない。月末締め切りの論文の修正がかなり滞っている状況でこの感じは本当にまずいから早く脱却したいのだが、なかなか身体が言うことを聞いてくれない。こういうときは時が解決してくれるのを待つのが一番なのだが、せめて修正に要する時間くらいは残して解決してほしい。

 

金銭的に色々と不安が出てきたので、師に相談した。するとやはり研究費を確保した方がいいのではないか、ということになった。以前からそういうことを勧められていたが、諸々あって結局やめてしまったのである。

今から書くことは、非常に個人的なことであって、本来人目に晒すべきことではないと思う。が、今の自分もやがて過去になって、未来の自分にとって「他人」になっていくだろう、ということを見据えて書き留めておきたいと思う。逆に言えば、それ以上の意図はない。

 

今の自分は研究をするという環境において非常に恵まれた状況にあると思う。

研究をするのに、最良の環境とはなんだろうか。無論ここでの研究というのは自然科学研究ではなく、人文学系の研究である。本を読んで書くのが仕事の研究である。

そうなると、まず「本」がなければ始まらない。

当然まずは資金面が問題になる。書籍代に要する研究費というのは、理系の実験経費に比すればえらく安価である。ぶっちゃけ個人で賄えないこともない。自分は学部を卒業して院に進学すると同時に高校で非常勤を始めたが、その給料の大半は「本」に消えていった。つまり必要な書籍を購入できる経済的安定性が重要であるのは言うまでもない。

先取していたが、自分が未だに実家暮らしということもここに関わる。正確に言えば院に進学する際に実家に戻ってきたのだが、とにかく自分で稼いだお金を生活費にそこまで回さなくてよいということは研究生活にとって極めて大きい。両親がまだ若い方で経済的に面倒を見てもらえるという状況は「運」でしかない。運がよかったと言えばそこまでだが、この考えも突き詰めれば選民、運命論になってしまう。この種の問題が厄介なのは、無自覚であればブルジョワ的だと見做され、自覚的であっても如何ともし難いということだ。色々言われると思うが、せめてそういうアドバンテージを活かして自分なりに頑張ってみるしかない、ということを自分に対していつも思う。

こうした「経済的な安定性」は月並みな条件で、これを欠いては研究はできない。哲学みたいな営みはなおさら難しい。それは究極的には「閑暇」(スコレー)に由来するのだから、物質的な余裕というのは重要である(こうなるとますますブルジョワ哲学的に見られていくから、自分としてはその辺りをもう少し丁寧に考えてみたいのだが割愛する)。

「閑暇」の問題にも関与するが、ただ生活が潤えば研究が進むというわけでもない。研究費問題というのは自分にとってこの点に関わる。研究費がどどんと準備されたとして、そこに基づいて生活が指導され、研究計画の遂行に舵を取らざるを得なくなるというのは、自分にとっては「嫌な」プレッシャーである。もちろん自分のしたい研究を申請するのだから、内容それ自体が鬱屈なわけではない。しかし昨今のシビアな研究費運営問題(横領や期限内の消費のための浪費)を目にしていると、素朴に「なんだかなぁ」と思ってしまうところがある。その辺まだ「若さ」なのかもしれないが、なんとなく抵抗がある。

自分にとって研究はそのまま生活である。研究者の人生は研究である(ここに人生の研究が人生であるという問題が含まれている)。その状況が比較的安定している現状が「最良の環境」にも思えるからこそ、そこに研究費の問題を考えることに、言い表し難い屈折があるわけだ。どうにもこれは書けば書くほどブルジョワ的な立ち位置にいることを切に感じさせられる。要するに「研究の面倒」ではなく「生活の面倒」をみて欲しいわけだ。それが研究の「最良の環境」だと言えるかもしれない。

こんなことを書くと、下手に偉ぶる非勤務人みたいな感じがして、つくづく嫌になる。一方で、研究だけやっていても研究はうまくいかない。音楽をやったり聴いたり、家事を手伝ったり、別の仕事をしたりする中で、案外エンジンがかかるものである。とりわけ哲学研究というのはそういうものである。西田が言うように、哲学の問題が人生問題の他にないなら、人生をよく知らなければ進まない。それは書籍の中だけにあるのではない。そういうトータリティを意識しているからこそ、研究費問題に違和感を感じるのかもしれない。

九月終わり

先日書いたものを尊敬している先輩に一読してもらって、非常に丁寧な批評を頂いた。それで月末締め切りの論文をずっと手直ししている。内容ではなく形式について自分が抱えていた問題を汲み取ってもらえた感じがあって、非常にありがたい。だが修正してもやはり大雑把なところが所々に残ってしまって、なかなかうまくいかないものだな、と思う。あと一息というところまで来たので休憩がてらに記事を起こした。

今週はたまたま学校の業務から離れられたのだが、研究の進捗らしい進捗が望めなかった。修正を第一で考えなければならなかったし、まだ後期にどういう研究に振り切るか定まっていない。同じことばかりやるのはよくないから、できるだけやることを分散させて多くの仕事を並行してやれれば一番いいのだが、現実は体力や気力の問題もあってそううまくはいかない。とりあえず原稿を出したら、博論のための大まかなラフスケッチをして後期の方針を固めて、その後来月締め切りの論文の修正をスケジュールに組み込もうと思う。

明日も仕事がある。今晩はさっさと休みたい。

 

 

上半期を終えて

今年度三本目の論文を脱稿して、英文要旨を書き上げた。我ながらよくがんばったなと思う。

とはいえなかなか落ち着いていられない。というのも、ここまでで書き上げた原稿はいずれも昨年度までの研究成果のまとめ直しであって、今年度の研究成果は全然まとめられていないからである。今年度は「種の論理」の形成と数学の関係性、そして自覚的自己同一に基づく他者論時間論の解釈が主題で、どちらも目処が立っていないわけではないにせよ、まだまだ形にはなっていない。ちょうど下半期に入るタイミングでようやくこれらに振り切れるのはありがたいが、同時に高校の勤務も再開したため、このペースで果たしてやっていけるのか若干不安ではある。

 

最近は二つの研究会でそれぞれハイデガーの『カントと形而上学の問題』とフッサールの『論理学研究』を読んでいる。前者では主に新カント学派の立場からハイデガーを対照的に浮かび上がらせるような意図で、昔馴染みの人々と楽しく勉強している。フッサールは今第二研究で、ちょうどロックの一般観念の問題についてのところを昨日読んでいた。これを受けて、今日の午後は少しロックをまとめ直していた。が、どうにも腑に落ちないことがあって途中ながら辞めてしまった。そのうち再開しようと思う。

 

それで、注文して届いた森田邦久さんの『量子力学の哲学』(講談社現代新書、2011年)を読んでいた。自分は科学哲学は本当にわからない。ただ、田辺の研究を通じて田辺が「やりたかったこと」がしみじみ感じられて、実際関心も抱くようになった。博士論文で科学論を扱う気は全くなく、あくまで数学だけでやるつもりなのだが(何度も述べているように、自分の専門は数理哲学ではなく日本哲学史である)、カッシーラーなどを読むとちょっとやってみたいなという気になってくる。田辺は実際日本の科学史に十分名前を食い込ませるような人間で、特にマックス・プランクの受容と関わって桑木彧雄(桑木厳翼の弟)とともに名前が挙がるくらいである(辻哲夫氏の研究が参考になる)。プランクの翻訳を自分で出すくらいなのだから、そういう立ち位置にあっても決して不思議なことではない。また、田辺は量子力学をその黎明期から受容している。当時マイケルソン・モーリーの実験を『クワンテン仮説に就て』という論文で長岡半太郎が『哲学雑誌』に寄稿しており、田辺はこれを参照している(「相対性原理に対するナトルプ氏の批評」参照)。こうやって見ていくと、科学ないし科学哲学的に見ても田辺は本当に魅力的な哲学者なのだが、なかなかその魅力に気づくのは難しいなと思う。ともあれ、このあたりは議論の流れを追うのが精一杯で、読んだことは読んだが、その中身はほとんど抜けてしまった。彼の科学論を扱うなら、再読が不可欠である。

 

別にこれ以上手を広げて本気で科学論をやろうだなんて思っていないが、それでも素朴に興味があるから勉強してもいいじゃないか、という気持ちで買って読んでいる。気長に趣味で勉強を続けようと思っているような感じである。

 

明日も休みつつ、仕事のことや先に述べた今年度の研究について考えたい。

朝から図書館に行った。今までは重い資料を背負って自転車で通っていたが、車で行けるようになった。重さを考えたり、汗だくになったりせずにすむようになったのは嬉しい。地元の図書館は蔵書も環境も悪くない。ただ、お昼を食べるのに適当なところがないのと、駐車代がかかるのが難点だ。長居ができない。せっかく足ができたのだから、ちょっと遠いが国会図書館とかに出ていくのもいいな、という気がする。

 

だが肝心の仕事はあまり進まなかった。原稿が溜まっている。来月に人前で発表するものと、八月締切、十月締切。いずれも今年度の新しい仕事ではないので、あまりそれだけに集中したくもない。夏は暑い。どうにもやる気が出ない。読むべきものも多いし、書くべきことも多い。頑張って仕事をしたいのだが、なかなか筆も進まないし、落ち込むことが多い。

 

こんなもの書いてる間にできることがあるだろうと言われるかもしれないが、それは第三者的な感想というものだろう。なんの役にも立たない文章だが、それでも自分にとっては一つの潤滑油である。療養時の一杯の粥である。

 

大体執筆の現場というのはやろうやろうという感じで成立するものでもなくて、触発されて自然と身体が動かされて出来上がるものだ。コンディションさえ整えば、特に才能とかを意識するようなものでもない。というか、才能とかを意識しているようなコンディションだから書けない、と考えるべきである。才能はア・ポステオリな概念である。だからコンディションが整ったときに、心身の疲れのせいで途中で終わってしまうということが非常に痛い。休めるときに休んでおくに越したことはないのかもしれない。

 

いつの間にか高校生は夏休みに入っている。夏は焦る時期だ。というより急かされる時期だ。あっという間に終わってしまう。そこにとにかく焦燥が生まれる。あれもこれも、という間に大きなものを特になせずに終わってしまう。だからせめて秋に仕事を持ち越さないようにはしたい。

 

 

 

夏の午後とピアノ——伊藤整の「生物祭」

割合よくある表象だと思うのだが、夏の午後のワンシーンに音数の少ないローテンポのピアノメロディを流すあの感じを言葉にしてみたい。

すっと頭に浮かぶのは細田守の『時をかける少女』だが、別にそれ自体に固有な表象というわけでもないような気がする。

 

夏は大抵けたたましい。だからそこに静けさが顕になると、なんとなく寂しい気持ちになる。かんかん照りの中で蝉が鳴くのと対照的に、エアコンの効いた博物館の表象はどこか虚しい。

戦前ではあるが、伊藤整の「生物祭」は六月の北国の「遅い春」が舞台となっている。父の危篤のために帰郷した主人公が、切迫する父の死とそれをめぐる複雑な感情に対して、対照的に生い茂る植物の生殖的な匂いに溺れようとする、条件付きのエロティシズムを描いた短編である。主人公にとって、季(すもも)や八重桜が醸す「匂い」は「頭を重くする」ものであり、それらは「咽せかへるやうに」花粉を撒いて生殖をおこなっている。その有り様が女性のエロスと重ねられている。

病院の看護婦、十歳の頃の女教師、中学生の自分の洋服を借りて歩いた親戚の年上の娘、あるいはその友達。個々の表象に対する欲望は、性の欲望であると同時に生の欲望であり、それは隣接する「父の死」とそこに付随する暗い現実からの一つの逃走線としても考えられる。

〔……〕看護婦等の肉体は粘液のやうなものを唇や腰部から分泌する、病院の光つた廊下をスカアトを曳いて走り、扉の握りを開くときに。

大きな髪の束が象のやうな女の耳の上に暗い陰をつくつてゐる。むつちりと白い肉の盛りあがつた女巨人。その女教師の燃えるやうな黒い眼がいま闇のなかに瞬く。

〔……〕それは私にかまつてくれない姉の友達等の消えた笑声である。そして突然それは悪しみをもつて私が投げ出した女の記憶であり、私の頭に今なほ満ちてゐる女性の群である。

もちろんさっきから話題にしているものは、こういうエロとは無縁の表象である。だがそこには脂っこくて湿った、生き物の動きがある。夏の午後は暑さのピークだ。そこにやかましく鳴いている蝉は性を交渉している。蝉だけではない。重さを伴う夏の午後は、ある種の「生物祭」であると言ってよい。

 

そこに対照的に静けさが映る。これはただの無音ではない。先に言ったようなピアノのメロディラインは、無音よりも一層寂しさを募らせるようなものとして置かれる。まさにこの寂しさが問題なのだ。それは、自分が夏に対して常に抱いてしまうある忌避感と強く結びついている。夏は終わるものである。自分にとって、夏の表象は常にその死と結びついている。そしてそれが、予料されているということが夏においては問題なのだろう。死の予期ということは、そのまま「生物祭」の主題でもある。しかも自己自身の死と直ちに結びつくのではなく、他者の死としてまず感じられ、受け止められるというところに重点がある。

父はこんな風にしてゐていいのか。自分の死にのぞんで父は何をしてゐるか。父は最期まで、ただ病人であり、病気を終ることによつて自分を終らせて悔ひる処はないのか。それは気力の消滅だらうか。諦めだらうか。でなければ、此処に来ても、まだ自分の死期をはつきりと知らうと欲しないのだらうか。〔……〕私は父を失ふ自分を忘れようとしてゐるのに気がついた。父を失はうとしているのは私か。さうだ。お前だ。それなのに私は自分自身のことをさて措いて、父の気持だけを推測してゐる。

夏の終わりは直ちに自己の終わりではない。我々は夏の終わりに自己の終わりと必ずしも無関係ではないものを予料しつつ、その静けさに追われるのである。夏の午後のピアノは、それを引き立てる。単純に音としてだけ見れば、夕暮れのヒグラシの鳴く音と同じ役割を果たしていると言ってもよいかもしれない。ただ、夕暮れはすでに終わりを現象している。祭りの花火にしても同じである。夜に鳴く虫の声も同じである。それらは「終わりの予料」という意味での予料ではもはや無い。終わりの予料は常に充実した、濃密な、汗ばんだむつこい夏の午後にふっと差し込まれるものである。それを感じたとき、私は虚しくなる。一年を通して一番長いはずの昼間が、あっけなく没していくのを感じる。

 

咽せかえるような生殖の匂いは欲望を誘いながら理性を呑み込もうとする。理性はそれに対してまず嫌悪感を示す。だから我々は通常それを払い除ける。「生物祭」の主人公が「ステツキを振りあげて、頭上の季の花の一番濃く群がつてゐる処を殴りつけた」のも、理性的な衝動である(東京で学生生活を送っているらしい主人公がステッキ片手に散歩しているというところに、すでに主人公のインテリ的な性格が垣間見れる。ここではステッキは理性の象徴として見ることができる)。こうした理性の抵抗が、却って花々を広く散らす。そして「殆んど私が嗅いでゐるに耐へられないやうな季の花」やその他の植物の中に、抵抗するどころかむしろ「倒れ込みたい衝動を感じ」ていく。その中に身を委ね、呑み込まれたいという、生物たちの欲望への欲望。その後主人公は子供じみた加虐嗜好で目に入った蛇を石で殺してしまうのだが、「その石をステツキでのけて見よう」としたとき、なぜか「私は躊躇」する。そして結局蛇の死骸を見届けることをやめてしまう。生物たちの欲望の中に飲まれた主人公が、今更にも「躊躇」してやめてしまったのは、ステッキという理性の象徴が目に入ったことで再び抵抗を取り戻したからかもしれない。

ここでは欲望は生物的な欲望に限定されてはいる。つまりそれは理性的なものに対する本能的なものとして考えられている。そういう意味では、ここでの舞台装置は「本能と理性」の二項対立である。無論この単純な図式にすべてを還元し切ることのできないのは、「父の死」というモメントがあることから明らかである。ただ、夏というものが一般にエモーショナルなものとして描かれるときに前提されているものは、やはり理性的に予料されたそれ自身の「終わり」なのではないか、という気がする。このことだけを示すのにこうしてだらだら書くのいかがなものかとは思うが、結局私が言いたいことというのは、そういう感じである。

 

夏の脂っこさは生物の犇めき合いであり、肉欲の伝播であり、なによりそういう艶かしい動き自体にやがて訪れる「終わり」の前の一つの迸りである。

ここからエロスを削ぎ落としていくと、一つの「青春」が整う。そこにはエロの残滓が残ってはいるが、それでも大元はいくらか脂っこさとともに差し引かれることで、風通しのよい情感が作り出される。それは一見涼しげだが、やはり本能的なものを基調としている。肉欲に代表される本能は無垢な衝動にすり替えられ、依然として理性とは対照をなすにもかかわらず、まだ「生」を表現する。それは無情に「死」を宣告する理性に対してはどこまでも気丈に振る舞うわけだ。そして、そうした気丈な振る舞いが世間を埋め尽くそうとするのが「夏」なのである。だがそれは「死」を「生の気丈さ」によって逆に呑み込んでやろうという、一つの無為で幼気な抵抗にすぎない。だから「死」は否応なく我々の耳元に囁きかけてくる。午後のピアノはその音色である。

 

そういうわけで、静寂よりも一層虚しさと切なさを引き立たせるあのメロディラインが告げるのは、何よりも「終わり」だと思う。そこに我々が「エモい」と呼ぶあのなんとも言えない感じが現象するのではないだろうか。

 

個と個体、身体

試みにまずライプニッツから始めよう。もとより拙い理解であるから、もし明らかな誤りなどがあれば識者の方はぜひ正していただきたい。

ライプニッツの『形而上学叙説』における一つの核心は、のちのアントワーヌ・アルノーとの往復書簡での主題に重ねて言えば、やはりla notion individulle、つまり「個体概念」をめぐる考え方であると、自分は思っている。主語のうちにそこに起こり得るすべてのことが述語として含まれているという発想は、他の類概念や種概念から個体概念を事実的なものとして区別するとともに、そこに神による永遠の系列形成と被造物の運命が演繹されているという意味で、非常にドラスティックな世界観を形作っている。ライプニッツの個体概念は、断るまでもなく個体的実体を示すものとして、のちのモナドに引き継がれる。

ところで、主語のうちに起こり得るすべてのことが既に内包されており、それを主語自身は有限的にしか(つまりアポステオリにしか)知り得ないが、権利上創造主である神はそれを全て知っており、しかもアプリオリに知っている。「神がアレクサンデルの個体概念即ち「此のものたること」を見れば、〔……〕我には歴史によってしか知ることのできないことをアプリオリに(即ち経験に依らずに)知ることさへもできる」*1。考えておきたいのは、そのすべてをアプリオリに知ることは神にのみ許されており、このように思惟することのできる我々の認識は常に有限で、そのアプリオリな知識をそのように我々が得ることそのことですら、我々の個体概念にアプリオリに刻まれて神によって見られているということである。別言すれば、例えばこのように私がこの時間この場所でこのようにライプニッツと神について書いているこの事実ですら、この私の個体概念のうちに含まれた述語として(しかもそのように「私」は神によって創られた)、神はすべてを透徹した仕方で見ている。

個体概念は決して人間に限定されない。神にとっては人間も他のものも被造物という点では等しく、その意味では個体概念は人間以外にも適用される。ライプニッツ自身はアルノーとの書簡の中で「アルキメデスが自分の墓の上に置かせた球」などを例に挙げている*2。西田は「明日ストーヴに焼べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない」ということを述べたことがあるが、これはモナドジーを予想していると言ってよい。「明日ストーヴに焼べられる一本の草」という個体概念のうちに、その来歴あるいは思い出、つまり過去の系列が全て含まれている。こうした考え方は、まず極めて素朴に言って「個の尊重」というイデオロギーに結びつく。個的なものをその尊厳も含めて輪郭づけるという意味で、こうした「個体概念」の考えは便利なものである。その系列をライプニッツのように神による透徹した洞察によって未来にまで権利上想定するとすれば、それは「運命」の問題として予定調和へのよくある批判を惹起する。「明日ストーヴに焼べられる一本の草」は、まさに明日、ストーブに焼べられるという運命をその来歴の起点からして、つまり生まれながらにして背負っていた、しかもそれは神によって決定されていた、ということになる。そこに果たしてどこまで「個の自由」があると言えるのか。そういう批判は容易に考えられる。

ライプニッツの側からこの問題を考えることはライプニッツ研究者に暫く任せたい。自分も関心はあるが、ここで考えたいのは、西田における「個」(彼は「個物」という言葉を用いることが多い)である。

田辺は「種の論理」において「個」については「個人」とか「個体」とかいう言い方をするが、「個物」という言い方はしないように思う。この差異は、結構重要であると思う(そのうちちゃんとリサーチして論文で書くつもりだが)。これは、田辺の「個」観が西洋の伝統的な考え方の上に成立しているものであること、及び西田における「個物」をその伝統とは外のコンテクストに置いて考えることのできる可能性があること、これらのことを指示している。三段論法において頻出するような「ソクラテス」が蓋し「個」のモデルとなってきたことを考えたい。ライプニッツの世界観もこれと無縁ではないし、むしろそれは伝統的なそうした捉え方のより深い基礎づけであるとも言える。それはあくまで一個体的、一人格的なものとして統一され、その意味で限定されたものを基調としている。個人は社会的には最小単位となり、文字通り「それ以上分割不可能なもの」としてのindiviudalなものとして考えられることになる。

しかし西田においては、個人はもちろん重要ではあるが、決して議論の最小単位にはならないと思われる。生命の有機体論や既存の議論の徹底的な解体を試行する西田においては「個人」は他のものを基礎づけるだけではなく、それ自身が基礎づけられるものとして考えられなければならない。その意味で少なくとも個人は出立点にはなり得ない。

種の論理において田辺は、種の類化という転換を行うものが個、特にその行為であることを論じている。こうした図式においても個はひとつのモメントとして捉えられるが、西田の場合はこれとはやはり違う。

西田が「個」の発想に最初に明確に着眼したのは、1910年代の終わりの頃であった。この頃は東大の三浦隼暉さんがご指摘されたように東でも西でもライプニッツブームが起こっていて、ライプニッツの影響は西田が『自覚に於ける直観と反省』を打ち切って考えを転換するときに作用していると見ることができる。この時期はむしろやはり「個体」という側面が一般に押し出されており、「主体」や「個人」のレベルが色濃い。これが場所に至って一般者の限定として考えられるようになると、「個」概念はさらに解体されていくように思う。

自分が考えたいこと、言いたいことというのは、この「それ以上分割不可能なもの」であるはずの「個」の概念それ自体がさらに解体されていく筋が西田においてはある、ということである。もちろん伝統的な意味における「個」の分割不可能性は、精神的実体という側面と大きく関わっている。そういう意味では「個」は分割不可能である。西田の「個」というのは、そういう精神的実体になお物理的に分割を加えるとかそういう意味ではなくて、そもそも「それ以上分割不可能なもの」として考えられるような「個」という観点を徹底することで、維持されなければならないと思念されている「個人」の概念に対して一旦破綻を求めるというようなものである。そこでは「個」は既存の枠組みを失って、永遠の今の自己限定による新たな輪郭を与えられると考えられる(ここから他者論が改組される)。自分は思う。西田における「個」の概念は、この点から一度組み直して見なければならないのではないか。その根拠は、自覚の線形性であり、もっと言えば時間の形成という問題との関係性である。厳密な意味での「個」が「いま・ここ」でしか有り得ないとすれば、個体概念において「いま・ここ」とはいかなる立ち位置を持つのか、という一般的な問いを提出することができると思う(ライプニッツ哲学における「いま・ここ」の意義というものを考えて見てもいいだろう)。

ところで自分は、単に「個」概念が不十分でそれをより掘り下げようということを言いたいわけではない。むしろライプニッツが考えるような「個体概念」はいかにして可能かという問いが考えられなければならない。伝統的な個体概念が主要な単位となってきたのには、それなりの理由があるし、そこには我々のさしあたって大抵の日常生活に対する大きな干渉がある(そこにὄνοµαの問題もある。個体概念は無論単なるὄνοµαではないし、故にこうした考えは単なるノミナリズムではない。が、ここでこのことを詳論するのはやめておこう)。

「真に個なるもの」を考えるだけでことが済むなら、哲学は案外楽な営みである。難しいのは、個なるものについての考えが、既存の個人を基点とする個解釈とどのように結びつくのかという問題に取り組むことだろう。個人の有つ輪郭性は、以上の観点から一旦は破壊されるかもしれないが、それは単に破壊されればよいというものではない。そうなると、やはり所謂自他の問題は融解したまま置き去りになってしまうからだ。

では、所謂個人を担保する輪郭とはいったい何か。それを考えるヒントになるのが「身体」であると思われる。かくして、個をめぐる基礎づけの問題は「身体」に漂着する。ここで考えたいのは、単に「身体」の意義ではなくして(それだと戸坂の批判の典型的な現象学になってしまう)、「身体が持続する」ということの意義である。ここで一旦、我々は戸坂の側に出て考えてみなければならない。個人的なものが物質的に持つ来歴の象徴が身体である。身体を考える機縁はここにあると思う(単に感官的なものに留まるなら身体と言わなくてもよい気がする)。

粗雑になってしまったが、一旦このように考えてみたい。

*1:ライプニツ『形而上学叙説』河野与一訳、岩波文庫、1950年、p. 83。

*2:同上、p. 249。

頭燃を払うが如く「見ること」への忌避

朝起きて伸びきった髭を剃った。一週間緩慢とした生活を送って、ようやく研究に対して淡々とした態度をとれるようになってきている。途中(半ば予想どおり)体調を崩しもしたが。

 

梅雨から夏にかけて、この時期は本当に好きになれない。外が照り付けて勇ましくなればなるほど、気持ちは塞ぎ込んでいく。不思議だなと思う。

 

頗る目が悪くなった。

毎日ずっとタブレットやパソコンと向き合ってるので当たり前と言えば当たり前なのだろうが(現にこれを書くことすら免れていない)、ただでさえひどい近視がさらに進んでいるのを感じると、多少心が痛む。見えない、見えにくいということが、まずはただそれだけの理由として、次に身体に障害を持ち合わせている事実として、迫ってくる。こうなると、もういっそ目を閉じてしまいたい、何も見ることが必要でない世界へ、ずっと眠っていたいというような気持ちにもなる。

 

「見ること」と西田は言う。それは特定の感官としての視覚に限定されたものではない。そこで示唆されているのは「ものを見ること」ではないからだ。そういう見地に立ってみれば、目が悪くなって遠くのものが見えにくくなる、見えなくなるということも、決して根本的な事柄ではないということが分かる(鑑真を想起する)。遠くのものが見えにくくなる、見えなくなるということによって、却って見えているものがあると考えることもできるわけである。人によっては(自分にとってもある程度はそうだが)、これは単なる気休めとか詭弁にすぎないだろうが、「見ること」の根源性というのはそういうところでなければならないと思う。

 

試みに眼鏡を外してみる。目の前が、手に届く範囲のものが、直ちに輪郭を失う。もはや書き言葉として認識できるものはない。視界に「あるはずの」文字列は全て壁に付いた濁ったしみと同化してしまう。印象派的になる。それは何かを克明に認識しようとする意志にとっては大きなストレスである。「あるはずの」「あるべき」「本来の」姿を眼鏡を通してしか知ることができない、ということは不思議である。感覚的世界の当為。「感覚」と「当為」の、この並びの奇妙さ。

 

通俗的に考えると、やはり目が悪くなるということは辛い。どれだけ「ものを」見るのでなく「見よ」と言ったとしても、自分の水晶体や角膜がだらしなくくたびれている様を想像すると、なんだか気が滅入る。一切の価値というものを超越するところから見ることができても、我々はそれでも価値を欲する生き物である。このギャップをどう考えるかということが、西田哲学研究において要求されている課題であると言ってよいと思う。なるほどそれは一切を包むことができるかもしれないが、一方それでも包まれたものを後生大事にしたいと匿おうとする心が我々には存在する。社会的世界はむしろそれによって動いている。

西田は「宗教的に迷と云ふことは、自己の目的に迷ふことではなくして、自己の在処に迷ふことである」と述べた*1。西田の根本的な立場というものが宗教的なものであって、その意味で自己の在処に迷うことであるとするなら、社会的世界における人の迷いというのはむしろ自己の目的に迷うことであると言うこともできる。いかに生きるべきか、いかに為すべきか、という当為の問題は、どこまでも宗教の問題ではなく道徳の問題である。そして我々は宗教の問題まで行ってしまいたくはない、道徳の問題としてそれを見たいということを欲している。つまり指針を欲している。あるものを志向していると言える。しかしあるものを志向するということは現象学的には原則であっても、根本的ではない。意識は常になにものかについての意識であると言うことが既に、意識についての限定的な見方であるとも言える。意識というものを根源的に考えているようで、いくらか対象的に捉えていなければ、Bewusstsein von Etwasということは言えない。この場合、何かについての意識でなければならないということよりも、Bewusstseinがいくらか対象的に捉えられているということが問題なのである。しかし元来対象的ではあり得ないものが対象的に捉えられるということが人間の認識であり、「自覚」である。しかし「自覚」ということを離れて、対象的なものから出発すること、限定されたものから出発すること、これが主語的本能的方向であると言ってよいなら、我々はむしろこうした認識の通俗的なあり方の免れなさ、どうしようもなさの立場に立ってみなければならないと思う。

我々は「さしあたって大抵」限定されたところから出発している。真に限定するものとして出発せず、限定されたものを起点と考える。これを単に指摘するだけでも十分でない。「頭燃を払う如く」*2努力が要されるのはこの点においてであると言うことができる。しかし誰もが頭燃を払えるわけでもない。多くの人は自分の頭に火がついていることに気づいていても、それを払う気力も方法も知らない。そのままじりじりと焼かれてやがて滅びるかもしれないとぼんやり思うだけである。そのどうしようもなさを憶う。

頭燃の人は何かを守っている。何かを保とうとしていると言える。「払う」ことができないのは、「払う」ことで何かが変わってしまうからである。そういうところをもう少し考えなければならないと思う。頭燃の人が守っているもの、保とうとしているものは、取るに足らないものでは決してない(だから守るし、保とうとするのである)。その価値が取り払われるということが一つの「頭燃の払われ方」だとすれば、それは望むところではない(その望みこそが主語的本能的方向であるとしても)。だから我々は、別に宗教的なものをそういう意味では求めていないのだと言うこともできる(元来宗教的なものは「求めるもの」ではないにせよ)。したがって望みというものに執着することから考えなければならない。

 

視力低下の話から随分大きな話になってしまった。誰もが頭に火がつけば、払い除けようとするだろう、という説法に随分前から自分は得心がいかなくなっている。現代の人々を見ていて、誰もが自分の頭に火をつけているのに、呑気に、あるいはぼんやりと日々を過ごしている。それとも、そもそも彼らの頭に火がついていると思うのは自分の錯覚なのだろうか。彼らのうちには当然自分も含まれている。少なくとも自分は、毎日のそのそと頭についた火に焼かれることを感じながら、それでも「なぜか」それを払い除けることができないでいる。「ばかもの、はやく火を払わんか」と誰かに言われても、ただ鬱屈になるだけである。かと言って、火に気づいていないというわけでもない。じりじりと自分というものが燃え尽きていくのを、ただ感じているのである。そういう状況を見据えている。そしてそれが、行き詰まりのある資本主義的テクノロジーの世界における個々人の様態の一つであるように感じられるのだが、果たして実のところはどうなのだろうか。

 

 

 

*1:「場所的論理と宗教的世界観」旧版『全集』p. 407。

*2:「一旦真に宗教的意識に目覚めたものは、何人も頭燃を救ふが如くでなければならない。但、その努力は如何なる立場に於て、如何なる方向に於てかである。神とか仏とか云ふものを対象的に何処までも達することのできない理想地に置いて、之によつて自己が否定即肯定的に努力すると云ふのでは、典型的な自力である。それは宗教と云ふものではない」。同上、p. 412。