古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

梅雨とこれから

4月から通い始めた車校を卒業した。明日免許センターで最後の学科試験が通れば、とりあえず免許を取得できるという段階にある。

正直結構ハードだった。5月連休の前後は車校の休みと別件に手を取られたので二週間ほど空いてしまったが、それ以外はほとんど毎日足を運んだ。改めて、仕事を辞めたからできたのだなぁと思う。それでも我ながら二ヶ月でここまで来れたのは早いほうではないかと傲る気持ちもある。

研究については、空き時間に少しずつ進めて、まぁそれなりというところ。

毎年言っているが、だいたいこの時期はつらい。暑いのと雨は本当に厳しい。例年この時期は進捗と並行して気持ちも落ち込んで、鬱屈な気分になる。が、今年はこの教習で今のところ概ねうまくいっている。しんどいときもあるが、研究は割り切ってしないということも多い。この時期はとにかく免許を取れれば十分頑張ったと言えるだろう、と自分に言い聞かせている。

 

仕事を辞めたが、辞めてしようと思っていたことは叶わなくなったので、研究に振り切ることにした。だから免許をとったらいよいよ振り切って色々仕事をしていかなくてはならない。

とりあえず昨年度の延長で二つはまとまっていて、一つはもうほとんど完成しており、もう一つは材料を削ぎ落として構成を整えていくという段階である。これらはなんと言うか成果報告のようなものにすぎず、実質的な進捗とは言い難い。今年度は田辺の「種の論理」と西田哲学の全体の総括を目標にしているが、これはかなりペースを上げていかないと厳しいものがある。その過程で書きたいものもちらほら出てきていて、そういうものを完成させながら果たしてどこまでできるか。。。という心配もある。一方で、仕事を辞めてようやく研究に集中できるようになったのだから、それをなんとかして果たしたいという気持ちもある。なかなか苦労は絶えない。

とはいえ、無事に免許が取れたら少しペースを整える時間が欲しい。このままハイスピードで切り替えると、なんだか疲れてしまう気がする。やることはやりつつ、少し気晴らしをしてみたい。

 

古都の対自的自覚

フランス人の気のおけない仏教哲学系研究者と朝から色々文面でやりとりをしていた。今日はオフ、というわけでもないが、久々に対外的な用事がない日なのでゆっくりしたいとも思っている。

本来宗教的なものに惹かれて哲学の門をくぐった身としては、いつかそういうものにしっかり沈滞してみたいという気持ちもあるのだが、あくまでそれとは意識的に距離を取ることを決意してからは、めっきり触れる機会がなくなってしまった。それで今日のやりとりの中で『成唯識論』が話題に出てきたので、書架をあさって竹村牧男先生の『『成唯識論』を読む』を引っ張り出してみた。

 

シルクロードの終着駅としての奈良」ということを思って、身近にある興福寺東大寺のことを考えて見ると、なるほど少し古都に対する感じ方も変わるような気がする。

つい最近「郷愁」について、自分にとっては奈良は故郷とは感じられない、というようなことを書いたばかりだが(あるいはだからこそ?)、唯識をめぐる思想の漂着地として当時の匂いを嗅ごうとすると、奈良にも趣はあるものだな、と思ったりする。

住めば都ならぬ古都に住むという身にあっては、東大寺興福寺はあまりに近すぎるが故に、それは歴史的な香りをむしろ脱色して「現代」のものに感じられてしまう。少なくとも自分にとってはそうだ。何度も外から遊びに来た人を案内したし、奈良公園内を昼夜問わず散歩したりすることができる環境に生きていると、物質の過去性がどうも削ぎ落とされてしまう。平城宮跡にせよ何にせよ、再建や修繕を経て「今」存在するということによって、むしろそれが象徴的に有すべき第一義的な過去性というものが、全く感じられなくなるというようなことがあると思う。これは歴史的な観光地と呼ばれる場所に住んでいる人にとっては、リアルな話ではないだろうか。

 

大半の観光客は「雰囲気」がどうのこうの、好きだの嫌いだのと言うわけだが(別にそれを否定するつもりもないが)、それはどこか地に足のつかない、なんだかふわふわした感じをイメージしてしまう。歴史的なものに触れるというのは、そういうものでもないような…、という筆舌に尽くし難い情感が自分の中にはあった。

 

歴史というのは匂いをかぐところに感じられる。目で見て、耳で聞いて、というだけのものではないと思う。もちろんここでの匂いというのは具体的な嗅覚の話に留まるものではなくて、映像的に過去と現在の全くの断絶を嗅ぎ分けるようなところがあると思う。今生きているところの匂いしかしないと、過去はない。

 

大体南都六宗なんて、ほとんど世俗から隔絶している。多くの場合は鎌倉新仏教が一つの大きな具体的な糸口になっていると思うが、法相宗とか華厳宗とかいうものは、門外の人間にとってはとても親しめるものではない。それを取り巻くつながりというものが全く見えてこない。そうなるといよいよ過去のものとしては実感し難く、とりあえず慣例的に観光対象になっているという現代的な見方から出ることはできなくなってくる。『成唯識論』にせよ『唯識三十頌』にせよ、そういうものが玄奘とか基とかいった人々があって、テクストを経由して聖徳太子に漂流していくその流れを嗅ぐことで、そういう場所としての過去というものが(これは構想力によるものでしかないのかもしれないが)視界に拓けてくるような気がする。そうして初めて、どうも結びつきの悪かった住まいとしての古都に、一つの自分の居場所のようなものが自覚されてきたように思う。自分にとって「奈良」という言葉で表される場所は、決して多くの人がこのシニフィアンから連想するような文化的な豊穣さと直ちに結びつくものではなかったし、それに託して自分の居場所を語ることはどこか居心地の悪さを伴うものですらあった。自分にとってこの古都の居心地よい場所があるとすれば、それは近代日本哲学を生きた人々の間を駆け巡るときと同じような仕方で、この土地で仏教研究に従事した多くの人々の動きを感知するその情景くらいだろうか。そして歴史的遺産というのは、本来そういう仕方で認識すべきものであるはずなのである。歴史が現在に生きているというのは、決して単に歴史的物質が現在にまで持続的に残存しているとか、そういうものと同時代的に接していることへの驚異とか、教訓とか戒めとかいうものがそこから教えられるような類のものではなくて、歴史的物質がそれとして反復しているところの過去にまで自分が連れ去られて、その中で泳ぎ回ってそれが身体中に沁み渡った頃に、再び現在というところに帰ってくるという、そういうものでなければならないと思う。そういう事態を、過去の歴史の匂いをかぐ、と言うのである。それは深く知るということによって可能になる。深く知るということは、自分の肉体がこの世に生を受ける際に課せられた時代的制約から知的に自由になるということに結実する。

古典のみならず本を読むということはそういうことである。そうでなければ過去は遠いままである。過去は理念でしかない。過去は実在しない。しかし歴史的物質が反復している過去に連れ去られるということによって、過去は我々において実在するのである。あるいは、我々は過去において実在すると言うこともできると思う。自分が生まれていない20世紀初頭の京都を居心地よく思ったり、1300年以上昔の過去に自分が置かれてあるということが感じられると思う。何度も言うことだが、それを構想力の単なる戯れだと言ってしまうこともできるだろう。しかし我々は歴史的物質に触れてその周辺を深く知ることによって、それがそれとして反復しているところの過去それ自体にひらかれるということは、やはりあると思う。

 

まとまらないままつらつらと書いてしまった。もう少し考えてみたい。

フッサールの三項図式とオノマの問題

以前国際学会で発表したことだが、場所をめぐる問題として自分が確定的な答えをいつか出さないといけないと思っていることがある。それがὄνοµαの問題である。

場所をめぐる問題としてὄνοµαというのは、すぐには結びつかないと思う。

場所は場所自身が限定する自己限定面以外の自己限定面として主語面、対象面、ノエマ面と言われる限定面を持っている。これらは所謂「於てあるもの」だが、於てあるものは場所論的に見て二義的というわけでは決してない。むしろ場所的論理が場所を問題にするのは、従来の哲学の視野が対象論理的と言われるように、この「於てあるもの」の地平のみを考えてきたからであって、なぜ従来の哲学が「於てあるもの」に限定されていたのかということにはそれなりの理由があるわけである。

だいたい場所というのは「主語となって述語とならないὑποχείμενον」に対して「述語となって主語とならない場所」としてほとんど定型句的に理解される。しかし、まあ素朴に言ってみれば、「場所は述語となって主語とならないものである」という言明において場所は主語になっているわけである。これは屁理屈のように聞こえるかもしれないが、自分はむしろ、そもそもあるものが主語的に措定されるという事態のうちに、なにか哲学的に根本的な問題があるのではないかと思っている。その意味では「場所は述語となって主語とならない」という言明の矛盾性は、刮目に値する。

見方を変えよう。「場所は述語となって主語とならない」という言明において指摘されている(つまりこの表現が指摘している hinzeigen)ことは、西田哲学において骨格的なタームとなっている「場所」の性格は、決して主語的な方向にではなく、むしろ述語の方向に見出されるべきである、という意味の示唆である。ここからフッサールが『論理学研究』の第一研究で詳論している「意味志向」と「意味充実」の問題を加えて考えてみたい。フッサールが両者を区別するのは、そこに対象性の現出が一つの契機として関わってくるからである。単に意味賦与作用によって意味というものが志向されても、つまり内容というものが現象しても、なおそれに対応する直観が欠けている場合は、意味は「充実」はしない。対象性が現出するということがない。そして対象性として問題になってくるものはイデア的統一体であって、「表現は対象を、表現の意味を媒介にして表示する(命名する)」(B49)。こうして、所謂「作用-内容-対象」という形で廣松渉が「三項図式」と名付けたものの関係が成立する。

ところで、場所というものの本質に照らして言えば、これは決して対象的なものではないわけだから、そもそも三項図式的に適応されないものであると考えなければならない。これは大原則的な話である。だが上述の言明のように、場所というものが主語的に限定される事実から敷衍すれば、場所という対象存在を思念するということもできるはずである(それが場所の本質的理解から全く逆の方向にあるにせよ、我々はそういう仕方で蓋し西田の場所を理解しようとすることの方が多いはずである。なぜなら我々は結局テクストという言明の集積から西田の場所を解釈するのだから)。「場所というのは……」と我々が語るとき(日常においても、討論においても、あるいは研究論文においても)、我々はやはり場所を主語的に措定しているし、そういう仕方で措定された場所という対象性を直観しながら、意味を陳述することになる。ということは、大胆に言えばこういう話もできるはずである、すなわち、我々が差し当たりこうして考えている場所というのは、場所ではなくて、むしろ場所のイデアであると言ってもよいのではないか?ということである。

我々が何らかの意味で場所について説明をくだそうとするときに本来場所というのはそれを映すものであって、決して主題的に注目されるものではない。つまりそれが主題化されているときですら、本来的に場所は常にそれを映すという仕方でしか関与していないのである。主題化されている当のものがどれだけ「場所」という呼称で名指されるものであっても、それは究極的には場所のイデアでしかあり得ない、というのが自分の考えである。

 

そしてこの事実は、やはり注意すべきことのように思われる。我々が場所について語るときに犯しているジレンマというのは、研究者によっても把握のされ方や活かし方に差異があると思う。人によっては、そういうジレンマの現前にまったく無自覚であるか、自覚的であってもその現前の矛盾的性格に西田の「愛好する」(この表現はよくも悪くも使用者と西田との距離を際立たせるものである)矛盾というものとの結びつきを看取して嬉々とする人もいるようである。だが、矛盾というものをもう少し我々はよく考えてみなければならない。これを「可能な限り判明なジレンマ」として解きほぐすことが重要であると個人的には思う(これをジレンマの解消と理解する人がいたとすればそれは全く論外である)。そのときやはり「場所」という言葉が示す対象性を何らかの意味で考えるということは無駄ではないだろう。

 

自分がこれをὄνοµαの問題として取り扱っていたのは、場所というὄνοµαと本来の場所を区別することから分析を始めたからである。そのとき特に意識されていたのは、我々が場所について語るということの問題を視野に入れることであった。西田研究として場所が主題化されるものは膨大な数がそれこそあるが、そこでは語るものとしての視点がどうしても抜け落ちてしまう。語るものの視点が主観的だと考えられて、客観的な研究に余計なものが入ると認識されてしまうからである。しかし語るものの視点というのはこの場合、real な個々の体験、つまりそのときその場所という時空間的制約に限定された経験的偶然的な事態を意味するのではない。むしろ全く逆に客観性を担保するものである(ただだからと言って、これを例えば現象学的にidealな性格によって処理してしまうと新たな問題が生じる。このことは今度の論文で書いた)。そしてそこにこそ本来「場所」という言葉によって示唆されているそれ自体は非対象的な直観があるわけで、我々が「場所」について論じるというときには場所のイデアないしそれと他の諸々の事物事態との諸関係ばかりが注目されてしまうが、そのときにこの本来の場所が失念されているということが、おそらくあると思う。

 

場所について考えるということは常に必然的に場所のイデアを考えるということであって場所として見るということを既に限定してしまっている。このことを指摘するだけでも、三項図式を適用して見ることに意味はあったと思う。

二、三他に考えるべき問題を挙げるとすれば、『一般者の自覚的体系』における叡知的一般者のような次元は以上で考えた場所のイデアとどのような関係にあるのか、フッサールの対象性は Thematisierung ということから考えてよいか、以上の問題を『クラテュロス』から基礎づけることはどれだけできるか、といった事柄が考えられる。が、いずれにせよ我々が「語る」ということを視野に入れる場合に言うべきことは以上最低限は示唆したと思う。

 

 

哲学か諸哲学か

訳あって今日は朝からだいぶ神経を使った。明日は今日以上に神経を使うことになる。他に喫緊の仕事もないので、今日は家で大人しくしていた。

 

なんとなくレヴィナスフッサール論を読み返していて、『形式論理学と超越論的論理学』の中にある「哲学はただひとつしかない。真に現実的な科学はただ一つしかない。専門諸科学は自律性を欠いたその一要素にすぎない」という言葉が目に入って、ああそうだよなあと思った*1。ああそうだよなあと思ったのは「哲学はただひとつしかない」という点である。レヴィナスにせよフッサールにせよいくらかあるべき文脈の類は、私はまったく考えていない。ゆえに本当にこの話はただのぼやきとかにすぎないわけだが、西田も『善の研究』において「元来真理は一である」と述べたように、世界の動態は一であって(認識論的に、例えば一的に考えることができてしまう、とかいった話ではなく、存在論的に唯一無二であるということ)その動態を把捉することが真理の探究であるとすれば、それは実質としては多様ではあり得ないはずである。

多様の源泉とは何か、ということを考えるときに心理主義が力を持つと言えるなら、常に哲学は学としては心理主義的であってはならないということになる。心理主義的な立場の哲学というのはおよそありえない、と言ってもいいかもしれない。哲学はまずなにより心理主義的なものを自覚しなければならないのかもしれない。

多くの哲学があるわけではない。ましていずれの哲学を好むかというのは問題ではない。鈍くなった心身の中でぼんやりとそんなことを考えていた。

*1:原文は以下のとおり。Mit anderen Worten, es ist nur Eine Philosophie , Eine wirkliche und echte Wissenschaft, und in ihr sind echte Sonderwissenschaften eben nur unselbständige Glieder. (f. u. t. L. S. 240)。

四月の進捗

新年度の一月目がまもなく終わる。以前の記事にも書いたとおり、出鼻の挫かれたスタートではあったが、概ね為すべきことを為し、もどかしいながらもそれなりに進捗を得ることができたような気がする。

 

大きなこととして、自動車の教習所に通い始めた。

別に車に興味もなく、仕事と研究でそれどころではなかったから、この年までずっと取らずに来てしまった。生涯無免許でもいいかと思っていたが、昨年家族に大事があり、いざというときに免許が必要であるということをまざまざと感じさせられて、仕事を辞めたら免許を取るかという気持ちになった。

そういうわけで、あまり前向きな、それこそ運転したい!という希望を抱きながらの入校ではない。仕事をしている限りは、やはり免許を持っていると便利は便利で、そういう場面に関わる機会も多かった(それでも自分の周りの同僚を思い浮かべてみると、持っていない人もまあ多かったなという気がして、思わず苦笑してしまうが)。そちら側に足を突っ込んで見えるものもあれば、一方で研究周りの人々はむしろ運転に消極的である。研究室の同僚はみんな免許をもっていないし、環境倫理を研究している知人は明確に「自分は乗らない」という態度をとっていた。地球環境や近代人の問題を射程に研究している人々であれば、自然と「技術への問い」が促進されるわけで、それもまた一つの成り行きなのである。

運転免許を取るということは、路上で人を跳ねる、車を擦る、刑事責任に問われるという諸々の可能性の重荷を背負うことであって、そういうところをまず見てしまう人からすれば、運転に積極的にはなかなかなれないところがあると思う。自分はそういうタイプだ。

だが運転することは楽しい。物理的な意味で世界は広がる。そういう前向きなところが勝つと、「免許を取りたい!」という気にもなるのだろう。行けなかったところに気軽に行けるようになるのは実生活のあり方を大きく変える。現代の生活において運転手にならなくとも同乗者としてその益を受けるということは珍しくない。いくら「自分は運転しない」と言っても、タクシーや知人の車を利用することは十分あるわけで、そういうケースはある意味では交通を他に使役させているという見方もできる。免許を取って引き受けるリスクのことばかり考えて「取らない乗らない」という意志決定をしているとしても、自分が法律上の責任を他人に転嫁している側面だってあるわけだ。無論こういう見方は捻くれているし、だからどうということでもない。ただ、運転できるということは、そういう意味ではむしろ自分自身を自分自身で引き受けるということと接点を持っているのであり、文字通りAutonomieとして一つの「自律」の意味を担っているのである(運転にここまで哲学的な意味を読み込むのも流石に馬鹿げている)。

いずれにせよ、決して運転に積極的とは言えないなりに、込み入った経緯で車校に通うことになった。今日一段階の効果測定を通って、あと技能一時間と一段階の検定でとりあえず、というところまで来た。それなりに早い方ではないかと思うのだが、これは確かに仕事をして研究もしながらだったらまず不可能だった。免許を取るのも楽ではない。路上で見かける運転者がすべてこういう経験を経てきていると思うと、立派だなあと感心する。教習生活も腹を括って為すべきことなのだ。

 

腹括って生きるということも、括る腹もなく雑念と生きるということも、自分にとっては両方大事である。腹を括るということを示すのに、自分にとってこれ以上の表現はない。「決心」とか「決意」とか「覚悟」とか、そういう熟語では不十分な気がする。身体をかけて生きるか死ぬかという想いを持つということは、「心」「意」「覚」とかいった精神的なものだけではどうにも満たされない。腹を括るという表現が好きだ。どうしようもない窮地に立って勇むという感じがする。武道家の端くれとして、刃に身を立てるようなこの感覚の前では、意志もまた竦むところがあるように思う。

 

つらつらと適当に書いてきてしまったが、フッサールや西田を進めたり、ゲラを収めたり、事務周りを整えたりといろいろがんばった。あとの不安は来月以後のあり方である。五月病から梅雨の憂いまで、為すべきことを為さねばならない。

休暇

休養日。なんとなく落ち着かない。

為すべき仕事は多い。考えるべきことは多い。だがそれを体系的に、あるいは根本的に考える気力は、残念ながら現状到底あるとは言えない。

いっそのこと哲学とかから少し離れてみてもいいのでは、という気すらする。もっと素朴に生きるべきなのだ。そうしてそれがやがてまた何かに結実することになるだろう。

仕事も所詮は欲求かもしれない。習慣論みたいな話かもしれない。「休暇にもならば萬事を放棄して静に御保養遊ばれ度候」という田辺に向けられた西田の言葉を思う。無論、田辺や西田のような実直な学徒に比して自分の努力というものは本当にちっぽけなものだが。なんとも情けなくもある。奮起するということもない。

そういうことを考えるのがよくない。ただぼんやりとしたまま、明日に持ち越してみようと思う。

瞬間の唯一性

西田にあまり馴染みがないという人に『無の自覚的限定』の中で一つ論文を勧めるとすれば、多くの人は慣例的に「私と汝」を取り上げるだろうが、自分は「自愛と他愛及び弁証法」を勧めてみたい。

西田の論文は一見同じような難解な論述で一貫しているようにも見えて、実はものによって著しく性格を異にしている。これはまずは掲載誌にある程度左右され、そして西田自身の考えの成熟具合によって変化すると、自分は思っている。例えば『働くものから見るものへ』の最後に収録された「知るもの」という極めて難解な論述の後に、西田は『一般者の自覚的体系』の第一論文である「所謂認識対象界の論理的構造」という論文を書いているのだが、後者は前者に比べて比較的丁寧に展開されているような印象を受ける。「知るもの」のような性格の論文は、西田自身の内在的な考えがそのまま反映されているという感覚が強く、実際のところ読者を置き去りにしていくことに躊躇がない。唐突に問題にされる事柄や、唐突に生成する独自のターム(「知るもの」で言えば「推論式的一般者」など)に読者はとにかく困惑するし、自分の読み方に確信を持てないまま最後まで読み進めれば分かるのかと思いきや、結局最後まで行っても煮え切らずに読み終えてしまう、ということが往々にしてあるわけだ。そういう難解なものの後に、少し落ち着いたのか整理ができたのか、あるいは何か別に他の理由があるのか、とにかく以前のものよりはずっと読みやすく、西田自身一歩退いたような視点から書いているような印象を受けるものが出てくる。もちろんそれは我々読者側の事情ということもあるにはある。「知るもの」を読む前に最初から「所謂認識対象界の論理的構造」を読めばいい、という話には決してならないからである。「知るもの」の分からなさの後に「所謂認識対象界の論理的構造」を読んだ、という流れが今述べたような印象を生成するわけで、ここで指摘しておきたいのは、そういう風に西田を時系列的に読み進めていくときに現れる論述の難易の変動が確かに考えられるということだけである。(この話は、某西田の研究会でM先生が所感として述べられたときに自分においても明確に自覚されるようになったところがある。)

 

『無の自覚的限定』にもそういう話が言える。「時間的なるもの及び非時間的なるもの」なんかは「知るもの」的性格が強いと個人的には感じる。何か後につながるような重要な概念が生成されたところでは、まだ熟しきっていない概念に揺り動かされて、「西田はいったい何を見てこれを書いているのか」ということがほとんど分からなくなったりもする。それに対してこのすぐ後の「自愛と他愛及び弁証法」は、まだ読者を意識しているような書き方を感じる。さらに、『一般者の自覚的体系』時点での問題も改めて盛り込まれているため、色々と考えやすいところがあるように思う。

 

とりわけこの論文には「非連続の連続」について簡潔な説明がある。西田は既に「私の絶対無の自覚的限定といふもの」においてこの概念に触れてはいるのだが、その本質である「飛躍」というポイントに明確に言及するのは「自愛と他愛及び弁証法」が初めてである。引用しておこう。

真の時は無が無自身を限定するといふ立場から考へられねばならぬ。現在が現在自身を限定するといふことによつて考へられる時は、点から点に移るとか、点が点を生むとかいふ如く、連続的に考へられるのではなく、その一瞬一瞬に於て消えることによつて始まる、即ち死することによつて生きるといふ意味に於て考へられねばならぬ、即ち非連続の連続として考へられるのである。*1

この後すぐ西田は「対象的に点から点に移るとか、点が点を生むとかいふのでなく、点から点へ飛ぶといふ意味を有つてゐなければならない、我々の意志作用に於て見られる如く飛躍的な意味を有つてゐなければならない」*2と、「飛躍」に言及する。

「非連続の連続」の特徴は、一瞬一瞬において死に、生まれるということである。これが所謂「死即生」というものなのだが、我々が一瞬一瞬において死に、生まれているという主張は、常識的とは言い難い。突き詰めれば確かにそういうふうにも考えられるかもしれないが、我々の通俗的な自己認識に対して易々と受け入れられるわけではないだろう。

例えばベルクソンは『物質と記憶』において、「時間に固有の本質とは、流れるということである。既に流れた時間は過去であり、流れている瞬間をわれわれは現在と呼ぶ。しかし、ここでは数学的瞬間は問題になりえない。確かに、理念的で単に考えられるだけの現在、過去と未来を分けながら、それ自体はもう分けられない境界としての現在というものもあるだろう。しかし、実在的、具体的、現に生きられている現在、私が自分の現在の知覚について話をする場合に問題になっている現在は、必ず一定の持続を占めている」と述べている*3。彼は「われわれにとって瞬間など決して存在しない」*4というはっきりとした言及まで残しており、考えられる限りの瞬間というものを実在的には否定している。ここではおそらく「考えられる」というところと、「実在的には」というところがポイントになるだろう。思惟された領域において既に何らかの意味で概念的に措定された瞬間というものは、言ってしまえば知的なフィクションに過ぎないような面もある。だが、我々は現にそれを考え、〈理論上は〉あくまで考え得るそういった瞬間を認めることで、多くのことを考えることができる(ちょうど数学における点と同じように)。そういった「瞬間」の理念的な意義を必ずしも否定する必要はない。自分は決してベルクソンに明るくないが、少なくとも彼が為している「理念的」「実在的」という言葉の使い分けからは、そういったことが言えると思う。

だが西田はあくまでまず「一瞬」を、「瞬間」の実在的な意義を強調する。「時といふものを考へる場合、通常、各瞬間の唯一性といふことが忽にせられて、単なる連続として考へられる。併し時の各瞬間は唯一的でなければならない、非連続の連続として時といふものが考へられるのである」*5。瞬間の実在性は、もちろん単なる実在性ではない。それは「死ぬ」という仕方で消えていく。その意味で唯一性を帯びている。それは単にあるともないとも言えないようなところがある。

そして、このように唯一性が強調されるということは、個物が輪郭をもったものとして、簡単に他のものと融解していったりしない点を確保する上で極めて重要である。だからそれは「死ぬ」という仕方で消えて、その個的輪郭性を失って消滅していく。西田はそこに「自由」の成立を見ているところがある。単に連続的であるということになればそこには一つ一つの独立性はなく、自由ということもなくなってしまう。カントのように、第一批判で自然界の必然を論じた上で第二批判において自由を説こうとするときに、第三批判という目的論的考察が重要になると言われるのも、この点から考えることができるような気がする。自分の理解は怪しいが、自然の因果系列の連続性は、悟性の総合原理に従って判断されてから、理性によって系列の理念が措定されることで考えられると考えてよいなら、必然的な系列は単に連続的に考えられることになる(とはいえ、因果それぞれの事象を区別する限り、それは厳密な意味での連続と言えるのか、むしろ稠密に過ぎないのでは、とも考えられるのだが。。。)。そのとき、必然にして自由な状況は「目的論的に」考えられる以外に成立し得ない。それはやはり、何らかの意味で系列的なものに依存せざるを得ない。系列が主体となるということは、系列の個々の項は要素としての意義に還元されるということであり、そこでは一つ一つの項は系列の系列性に制約されることで自由ではなくなる。目的論的な自由は常に何らかの意味で系列を前提にする、ということが正しいとすれば、そこでの項の身分はやはり二義的になってしまうのではないか。

西田は全著にわたってカントの目的概念に同調するところもあれば、反対するところもある。西田はあくまで「我々の人格と考へられるものはその一歩一歩が絶対に自由でなければならない」ということを強調する*6。もともと彼の自由概念は「絶対自由の意志」と言われるように、あらゆる制約性から解き放たれてむしろ制約を施すような絶対性をもって理解されるものであった。ゆえに最初から「必然と自由」というような形で「調和」を施されるような代物ではなかった。その絶対性を確保するにはどうすればよいかというときに、この非連続の連続における「瞬間の唯一性」ということが重要な意義を帯びてくるわけである。

 

とはいえ、ここに「死ぬ」という表現が用いられているのは、些か仰々しいとも言える。確かに我々がそのように刻々と死んでは生き返っているのかもしれないが、本当の「死」というのは、その後「生」がないということだと我々は考える。一人の人間が死ぬということは、その人のその後がないことだと考える。この問題とどう折り合いをつけたらよいだろうか。

今日のところは一旦ここで止めておきたい。 

*1:西田幾多郎全集』第六巻、岩波書店、1960年、p. 264

*2:同上、p. 265

*3:ベルクソン物質と記憶』杉山直樹訳、講談社学術文庫、2019年、p. 201

*4:同上、p. 94

*5:西田上掲書、p. 276

*6:同上、p. 277