古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

雨と鬱屈

とにかく雨の日はつらい。後頭部に糸をつけられてひっぱられるような感覚がある。肩に圧力を感じる。額はぐるぐるする。音を聴いたり、匂いを嗅いだりするとさらにひどくなる。耳の上あたりからぐぁんぐぁんと頭が痛くなる。世界が回っているような気がする。
だいたい朝から気が滅入る。それで色々仕事をしたりもするが、だいたいうまくいかないか、うまくいってもすぐ疲れてしまう。それで余計に落ち込む。だめだなあ、という気持ちになる。なにもできないので、気分転換をする。楽器に触ったり、小説を読んだり。だいたい一通り済ませても調子はよくならず、横になる。夕方、夕飯前の時間くらいに、ようやく少し気持ちが落ちつく。こうやって筆をとったりする気力が湧く。
夜に気分が落ち着くのは、夜は基本的に仕事をしないからだろう。夜にまで仕事を持ち込まないように、だいたい日中せこせことやるべきことをやる。やるべきことをやるべきなのに、それがままならない雨の日の日中はつらい。

 

ライプニッツを解釈する。予定調和。演繹的には未来を包摂しているが、その事実真理の完全な充足理由は神のみぞ知る。だからそれを経験するのは、経験するときに於てでしかない。神は全てを最善に為している。ゆえに今のこの経験も最善であるはずである。私はそう解釈する。

もっと俗な言い方をすれば、これもどこかで見たこと誰かが言っていたことだが、「いま」というのはその都度その人にとって最善であるように形成されてきたはずなので、「いま」がよくないように見えても、その実その「いま」が一番善いものであったりする、ということになる。

雨の日のたびに鬱屈になる。それも最善なのである。と思わないとやってられない。思ったところで、どう考えてもこれは最善ではないし、もっとあるべき姿があるはずだ、と思ってしまう。偶然性の問題。

 

梅雨の時期は最悪だが、これからやってくる夏はもっと最悪だ。夏はつらい。

今週末は、なにもはかどらなかった。