古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

先を考える

たまたま仕事の休みが続いていて、毎日同じような作業ばかりしている。まもなく仕事を辞めるが、こういう生活一色になるのだろうかと、ふと思う。

三月に国際学会と年次報告の提出があるから、毎日ずっと机に向かって進めている。それに加えて自分で始めたドイツ語の翻訳プロジェクトもあって、午前はインプット、午後は執筆、夜は翻訳という生活が、かれこれ二週間近く毎日休みなく続いている。さすがに鬱屈にもなる。

 

こういう、なんとも言えない不安は何度も経験してきたが、結局やることをやって邁進することしかできない。いつもは「今日はこれをここまでやって」という道筋でだいたいテキトーにやってもなんとかなるのだが、さすがに書こうとしていることの新しさと、これが果たしてどれだけ受け入れてもらえるのか、そもそもそれをうまく展開できるほどの技量は自分にはないんじゃないか、といった不安がプレッシャーになって、今次はなかなか重い。

 

来年度のことを考える。

仕事を辞めてもこの情勢では特に外出はできなさそうだ。

どうやって生きていこうかと考える。せっかく仕事を辞めるのだから、定期的なバイトもせずに貯蓄と適当な収入でほそぼそと自由な時間を満喫するのもいいんじゃないかという気もする。

一方で働くなら、あそこかあそこだな、みたいな打算をしたりもする。いずれも間抜けな考えだと思う。

 

 

 

慌ただしい日常が終わって、そのまま全てから解放されたとして、どうやって生きていこう。定年を前にすると感じるサラリーマンの心情というのは、こういうものに近いのかもしれないな、とも思う。自由であっても経済的に豊かでなければ不安は残るというのは悲しい性だが、それでも認めなければならない。

 

前進のために仕事を辞めるはずだが、情勢が前進を妨げる。それはそれか、人生。