古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

新年度

新年度が始まったが、早速出鼻を挫かれた。

家族が高熱を出してしまったのである。情勢が情勢なだけに、なかなか落ち着けない。いろいろと考えるべきこと、為すべきことがあって、当惑せざるを得ない。

同時に論文が行き詰まってしまった。月末にかけて査読結果を踏まえて修正をしていたが、どうもうまくいかない。

いろいろ考えることがあって稿を起こした。書きでもしないと落ち着かない。

 

一年前の年度の変わり目も、出鼻を挫かれた。

年度の転換自体がコロナで有耶無耶になったところもあるし、個人的な理由もあった。一年前のこの時期はとにかく一つの大きなプレッシャーがあって、一日一日の感覚としてはっきり覚えているものがない。勤務先も大学も動き始めたときにはまた別の問題が起きて、家庭的なところでも慌ただしかった。

そういうことを言い訳にするわけでもないが、どうしても三ヶ月以上原稿が書き上がらなかった。特に大きな成果につながるようなものでもなかっただけに、後から振り返ってロスを感じる元になってしまった。また同じようなことになる気がする。そういう直感が気持ちを落ち着かせず、今に至るわけである。

 

今回は査読の修正だったが、修正しているうちに諸々の点で考えがブレてきた。問題設定がうまくいかないので、この数週間ずっと手を入れては直し、アウトラインを書き、図式化し、白紙に戻し、ありとあらゆる手を尽くしてきた。が、結局ダメだった。

修正しているうちに、だんだん「この主題で世に問う意味があるのか?」という気がしてくる。力不足でもっと勉強してから詰めたい部分もあるし、修正した主題は前年度の研究成果と若干被っている。なにより、時間がもったいない。年度が変わって心機一転、いろいろなものを捨てて心新たに取り組もうと思っていたのにこれだ。やるせない。

 

卑近な話だが、こういうものは出せるなら出した方がいい。だが、出せないものをぐずぐずと未練がましくいじるのは頗る気が滅入る。論文というのはやはりある程度精魂込めて書いているわけで、書いたものを消したり方向性を変えたりするのは難しい。それなら新しいテーマで最初から組み立て直した方がいい。

 

悔しいな、と思う。が、気持ちは諦める方向に向かっている。時間を無駄にしている感が強いからだ。だが拘泥していても活路が見えそうとは言えない。むしろ締め切り直前までズルズルと悩み、また中途半端なものを出して、その上その徒労感によってなすべき仕事がその後もできなくなるような未来が見えている。

 

スパッと諦めて次の仕事をする。未練は大いにあるが、だからこそ少し距離をとって、また頑張りたいと思う。