冬の小路はGシャープ
寒空の時期は音楽が愛しい。
移動の際にイヤホンで耳を塞ぐとして、冬と夏とではえらい違いがあるように思う。
マフラーとコートをして身を縮めて歩くというところに、景色が透徹するのかもしれない。
夏の日差しは視界を歪める。「凍れる音楽」は映えるが「蒸れる音楽」は解し難い。
どうも聴く音楽も、ポップなものにはならない。
なんとなくGシャープが身に刺さる。本当に今更だが、欅坂のサイレントマジョリティーのサビとかが痛く沁み入る。メロディラインが卑怯だな、と思う。
改めて歌詞に聴き入ってみると、リリースが2017年という時代を改めて感じさせられる。10年代の初め、AKBとかの頃にはまずあり得なかった。こういうものに嫌でも共感させられるということが、我々の世代的な問題なのかもしれない。
我々人間は作られた感動だとしてもしばしばそれに感動させられるのである。「演出」の感動はあらゆる感動ではないが、確かな感動なのだ。
冬の小路を歩きながら、Gシャープをなぞる。この感触はどれだけの人に共有されるだろう。