古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

日本と応用倫理学

後期の授業準備の一環で、加藤尚武を読んでいる。

「日本での生命倫理学のはじまり」(2007)という短論文があって、これが加藤倫理学の一面を照らしているように見えるので、少し書いて所感を整理したい。

 

加藤はヘーゲル研究者から日本応用倫理学の先達となった。まだ彼が何を理念や問題としていたのかはよく分からないが、周りとのギャップについては記述がある。

われわれ日本人にとって英米の哲学に労を注ぐことは無駄だった。なぜなら、それはカントとドイツ観念論によってずっと前に克服されてしまったものだからである。

したがってバイオエシックスの導入には、さまざまな感情的な反発があった。私は、ドイツ哲学とりわけヘーゲルの研究に長年取り組んでいたが、私の教え子でバイオエシックスの導入に反対する者もいた。「加藤先生はご乱心である。決死の覚悟で先生にバイオエシックスという邪道から足を洗うようにおすすめしたい」と発言する教え子もいた。*1

 

日本哲学全体ということを視野に入れるとき、ドイツ哲学に偏重的な性格というのはしばしば語られる。

田中美知太郎は、田辺の『哲学入門』で必読書として取り上げられているものについて、「この選択のうちには、イギリスの哲学者が一人も入っていませんが、今日の実情では、それは奇異の感を与えるでしょう。エックハルトスピノザ、カント、ヘーゲルマルクスの線が特に重要視されているのも、ドイツ哲学好みの偏向と見られるでしょう。しかしわたしの個人的な好みも、やはり大陸の哲学者を取りたくなるから困ります」と述べている*2。もちろん、ドイツ偏向というのはイギリス・アメリカ的その他の民族的哲学が無視されているというほどの意味ではない。英米と大陸という近代の長い対立が引き起こす趣向についてはいろいろ考えてみたい点もあるが、ここは触るだけでひとまずよい。

 

彼が視野の中心に間違いなく収めていたのは、「現代の日本」という状況である。

現代における哲学研究の目的は、人類が共有すべき原則は何かを明らかにし、応用倫理学が現在提起している諸問題に対処することである。*3

論理的実証主義プラグマティズム、解釈学などあらゆる既成の方法論で、そのまま有効性が保証されているものはない。日本人は西洋哲学や中国やインドの学説を輸入したりしてきたが、われわれは、古今東西すべての知恵を総動員する覚悟でいなくてはならない。まず輸入し、それから修正し折衷するという、後進国型の戦略はもう有効ではない。世界中の人びととの同時性という課題を引き受けなくてはならない。*4

 

この内容を語る節を、加藤は「日本的生命倫理学は可能だろうか」という題名で飾っている。この題目は興味深いが、そこまで内容に準じたタイトルとは言い難い。日本的生命倫理学なるものが考えられるのだとすれば、そもそもそれはどういうイデーで構想されるのか、もう少し論じてほしかった。もっともそういうことは他の論文や著書で触れられているのかもしれないが。

 

加藤はこの論文は次のように締め括っている。

デカルトは、母屋というべき本格的な道徳律が確立されるまでのあいだ、「暫定的な道徳」という仮小屋が必要だと述べたが、永遠に「普請中」(森鴎外)という倫理学状況になりつつある。*5

 

デカルトの「暫定的な道徳」というのは、『方法序説』の第三部で語られるmorale par provision(AT, VI 22)のことである。この考えはヘーゲル研究者という感じがする。だが、あくまで人間の観点から見る態度はヘーゲルよりもasymptotischな面を強調したナトルプに近いようにも思う。

応用倫理学に向けられる批判の一つは、それがケーススタディとして蓄積を求める性格を一面に持つ以上、その本質からどれだけのradicalさを要求できるか、という点にあると思う。が、基本的な動機はおそらく逆で、事例があって初めてそこに対応するようなApplied Ethicsが要求されている、という流れなのだろう。

先の引用でもあるように、加藤は「現代における哲学研究の目的」をだいぶ狭義に限定して語っている。これにはパフォーマンス的な意味もあるのだろう。しかしそれが既に「人類」の視座に限定されてしまっていること、このことはやはり同意できない。

別に応用倫理学よろしく、動物の視座が欠けているとか、「ヒト」はいつ「人」になるのかとかそういう話ではなく、根源的に人類がいなくてもよい世界という観点から私は考えたいからである。

人がいない世界を人が論じるのは欺瞞的だと思われるかもしれないが、そもそも人というものを根本的に考え直すなら、人というのも明日ストーブに焼べられる一本の草と同じ存在の意味を持っていなければならない。それは厭世的だとかペシミスト的だとか言われるかもしれないが、そもそもなぜ人が「厭世的」なものを忌避するのかということが、十分自覚されなければならない。そこに人類というものを盲信している事実があり得る。そういう気分から出立する哲学は、結局心理主義の亡霊であって、自分の心理の外側に出られない。最初から外に出ていると言っても、それは真の意味で「外」ではない。我々はなお疑いうることをよく疑ってみなければならない。西田がデカルトを再評価することの意味をよく考えてみなければならない。それが行き着くところ単なるSkeptizismusにしかならないと考えるのは、懐疑がなお不徹底であるからである。

 

とはいえ、大衆化されたものを所与として現代日本というものを考えるときには、加藤の主張は決して受容できないものではない。純粋哲学と応用倫理学、これらを統合するわけではなく、別々の方向として考えることはできないだろうか。

 

もう一つ、興味深い示唆があった。それは「自己決定」ではなく「他者決定」を日本の応用倫理学の一つの航路に数え入れておくという点である。

日本では、ほとんどの事で自己決定不在であるのだから、自己決定にもとづく正当化という文脈は用いることができない。したがって、「自己決定のみが死を正当化する」という考え方を取り下げて、原則的には他者決定を認めるべきである。その究極の理由は、すでに自己が不在であるからである。ここにナチス安楽死の他者決定とはまったく違う点がある。*6

安楽死には当人の同意が不可欠であるという観点は、ナチス政権が精神病の患者などを当人の同意なしに「安楽死」させたことから、安楽死が正当であるための条件として導入された。しかし、昏睡していて意識がない、自然状態にすれば生きていくことができない患者にまで、無理やりに「自己決定」という枠組みを適用すべきではない。むしろ、家族に決定権をゆだねて、それが良識の枠組みに適っているかどうかを第三者的な機関が判定するというやりかたの方が、理性的であるように思われる。*7

 

これは一種の種の論理に則って考えられるが、個というものをどこまでも形成しようがないという可能性に留意する場合には、一つの意味を持つ。しかし、常に「誰かに決めてもらうこと」の全体主義的性格と、その日常レベルでの素朴な浸透性を考えることがどのみち論点になってくるだろう。「誰もが個人になれるわけではない」ということを考えることは、西田よりも田辺の方に迫った問題意識であった。問題はまた、純粋哲学の中に入っていくことになる。

完全な予測は可能になるのがつねに遅すぎる。民主主義的な合意形成が真に有効な条件は限られている。決定は即時に下さなくてはならない。伝統は沈黙。他者危害(harm-to-others)原則、自己決定は不可能。全員一致は不成立。多数決は不適切。*8

 

その場で決めなければならない深刻な事態に関して、何らかの判断を下すこと。法学や政治学、医学の世界にコミットするときにプライオリティをもつこの事柄に、どう留意しておくべきか。まだ考えがうまくまとまらない。

 

*1:加藤尚武著作集』第9巻、未来社、2018年、p. 374。

*2:『田中美知太郎全集』第八巻、筑摩書房、1969年、p. 154。

*3:加藤尚武著作集』同上、p. 386。

*4:同上、pp. 386-387。

*5:同上、p. 387。

*6:同上、p. 382

*7:同上、p. 383。

*8:同上、p. 386。

推論と直観

デカルトの『省察』を読んでいて、現代人の日常についてふと考えた。通俗的な現代人に欠けている知的習慣とは何だろうか、それは推論ではないか、というようなことだ。

 

「推論」よりも「推理」という言葉が馴染み深いのは、ミステリー小説や漫画の影響力にもっぱらあるだろうが、当然そこには物語に特有の飛躍があり、論理的推論と呼ぶべきものとは隔たりがある。

 

推論の能力というのは、観念や概念を通じて、物理的現実の世界から離れることでもある。それが結局は、自分の世界というものを拡張することになるのであり、そういう世界の形成、延長が21世紀人類の大きな知的課題でもあるように感じる。

それは妄想とも違う。ファンタジーに放埒に世界の中に世界を新たに作ることは、それ自体特記すべき事柄ではあるが、世界の中に世界の形を与えることにはならない。それは別の能力であると考えられる。世界の形を捉えるということはどういうことなのだろうか。

世界の形を捉える推論は、純粋に知的な営為でもあり得ない。そこには世界の直観がなければならないからである。しかし、形を捉えることが同時に世界の新たな直観の契機となるような意味も、人によっては見出される。

知的な活動というのは、現今大いに限定されて考えられている。勉強して、新しい知識を身につけていくことのみが知的な活動というわけではない。概念、判断、推論という古典的な論理学の基礎を考えるときに、推論というものの役割を今一度考えて見直すことも大切なのではないか、という気がする。

哲学者の仕事に寄せて

終戦日。台風で、予定していた帰省が滞り、家でじっと過ごした。怒涛の忙しい日々が束の間の落ち着きを見せて、じっくり休んでいる。

 

先日は気心の知れた旧友とキャンプで久闊を叙した。この年になると、色々と生活や家庭のことを考える。そう大きな夢も語っていられない。目の前の手短な仕事の中で、幸せな日常を作り上げることが大切になる。

 

仲間の一人は自衛隊の軍備に関する仕事に就いている。

道中、防衛に関する日本の貧弱さを聞かせられた。彼自身は戦争に決して同意するものではないが、有事にあまりに何もなし得ない無力さにも危機感を覚える、と述べていた。この感覚は浸透しているように思う。決して戦争を肯定するわけではない。しかし、我々はいつの日か「巻き込まれる」かもしれない。戦争は一つの災害のようだ。

 

今年から倫理の教育に携わるようになって、実践哲学も視野に入ってくるようになった。

私は理論的基盤のないまま実践を語ることを、はっきり言って軽蔑していた。実践することを、ではない。実践を語ることを、である。実践を語るとき、語りは常に理論と結託している。その理論が薄弱なまま、実践を語ることは、実践することとも遠く隔たる。そう思っている。

だからやるのであれば、実践それ自体が一つの理論であって、理論を語ることが実践であるような意味を持っていなければならない。それが私の実践哲学である。

そうした指針を、私は西田—田中の理論—実践哲学に見ている。西田哲学も田中哲学も、極めて理論的に堅固なものに支えられて成立している。しかし、彼らはともに非常に強い実践的関心を秘めている。そこを掘り出していくのが、終わる目処の未だたたない博論が終わった後の、三十代の仕事ということになるかもしれない。

 

戦争をするということは、ヘロドトスの『歴史』のうちに既に掲げられている。私は戸坂潤や田中美知太郎のような哲学者にこそ、政治哲学と理論哲学の結びつきを見るべきだと思う。

 

今の時代は浅はかである。思想的にあまりに幼い。その幼さを嗜め咎めることができないほどに幼い。そういう時代にあって、哲学者の仕事というものを非常に強く意識させられる。

 

哲学は、必ずしも市井のためのものでもない。宇宙の真相に関する純理論的関心というものが、哲学の一面にはなければならない。そうでなければ、哲学は人間の文化的営みにすぎない、常に人間的たらざるを得ない、非人間的なものを照らすことはできない。非人間的なものを照らすことのない学は、結局人間も照らし得ない。

しかし、一方で哲学は人間の文化的営みでなければならない。それは人間にとって、社会にとっての関与を握っていなければならない。ゆえに哲学は非人間的なものを照らすことと、その中であまりに人間的なものにコミットすることとの両翼を持っていなければならない。

個人になるか、大衆になるか、人々の生き方は困難である。

何を切り開くか、何を示唆するか、人を広く導くということを考える夏の夜を思う。

哲学の過激さ——哲学対話に寄せて

縁あって哲学対話型の研究会に参加させていただいた。

まったく未経験というわけでもなかったが、それでもほぼ馴染みのない環境だったので、色々興味深く、また普段あまり自分が交流することのないタイプの方々にお目にかかることができる良い機会になった。

だがどうにも、根本的に何かやはり問題があるような気もする。取り組み自体の意義を否定するわけではないにせよ、胸中になんとなくしこりが残るようである。これを試みに言葉に直してみたい。

 

対話型の進行と展開を考えると、まず、どうにも「忙しなさ」が目立つ。

ある決められた有限の時間の中でそれぞれの考えを表明し合い、まとめたり、意見を交わしたりする。

当然「もっと話したいが時間が足りない」という不満が生じる場合と、逆に喋ることが全員にない時の「どうにかして時間を埋めなければ」という焦燥が生じる場合とがあるわけである。

その間の塩梅をうまく実現できればいいのかと言われると、それはそれで「なんとなくみのりがあるっぽい感じで終わった」という一種のお遊戯感が漂ってしまう。表面的には「いい感じ」かもしれないが、superficielなものはその本質上核心を覆い隠してしまう。

 

哲学という営みには「理路を突き詰める」ことに一つ重要性がある。この「突き詰め」を満たそうとするときに、対話型の営為は決定的な欠陥を抱えることになる。

もちろん、そもそも「哲学的な問い」に触れる機会のない〈普通の〉人々にそういう機会を提供すること自体が誤りであるはずがない。それだけで一つの「気づき」や「成長」を促す意義を持ってはいるだろう。しかし、それは同時に「哲学」を些か薄っぺらくしてしまわないだろうか。それは本当に「哲学」なのだろうか。

 

そうした遊戯的な対話は、なるほど一面に哲学の「閑暇」的性格を反映してはいる。

しかしその「暇」が自分にはどうにもブルジョワイデオロギーに見える。知的な社交場としての意味以上の「突き詰め」は、そこではむしろ野暮なものになる。「私はこう思うんですけど…」を深く掘り下げて語るほど、議論は独占的になる。むしろそこで求められているのは「議論を独占しすぎないでください、迷惑になりますから」という点を適度にわきまえた「面白い」干渉である。そこで一種の「作法」が支配的になり得る。

無論、そのあたりはファシリテーターの塩梅ということになってくるだろう。ただ、それにしても「暇つぶしの延長に得られるものがあれば」という消極的な態度形成は免れないように思う(厄介なのは、参加者自身が自分に内在しているであろうそうした感触には多くの場合無自覚で、むしろしばしば「自分は実りある空間に参加している」といった全く逆の仕方で自己を認識してしまっていることである)。哲学は確かにスコレーの上に成立した一面をもつ。しかしその「暇さ」とは、不安や退屈の払拭を目指すようなパスカルの「気晴らし」ではなく、そうした日常性自体から距離を取ること、その意味でリラックスした境位からはむしろ真逆な、丁々発止・一触即発の真剣な態度を含意してはいないだろうか。私は、哲学にはそういう意味を考えなければならないと思う。

要するに、哲学は本来もっと過激なものなのである。そこを通過することで、今までの自分ではいられなくなってしまう、ものの見方が変わってしまう、そういう過激さが哲学にはある。

そして、そこに個人というものが生まれてくるところへの接触が考えられる。その人がその人として生きることへの自覚も、そうした過激さに恐れず染まってみることから始まるのではないか。そうでない哲学は、結局一つの着脱可能なファッションに陥らざるを得ないのではないか。

 

逆に、こうした営みが講壇哲学者のブルジョワ性を批判する文脈から形成された一面を持っている点は、なかなか面白いところである。

「——講壇哲学者たちは、自分たちにしか分からない難解な言葉を弄して、そうした身分の特権性に依拠した閉鎖的な学問に哲学を押し込めてしまっている。哲学というのは、そうした「一部の」人々に限定されたものではなく、もっと市民へ開放されたものであるはずだ。」

こうした動機が一つの動因となっているとすれば、期せずして市民の地に降ろされた対話型の哲学が失ったものは、そこに秘められていたはずの「過激さ」である。そしてまさにその点であるべき専門性を脱色し、まばらに関心ある「一部の」人々が、特に専門的な知恵を経ないままに参与するだけのブルジョワ社交場に変様してしまうことになるだろう。

 

ここまでひどい言葉を使わなくてもよかったかもしれない。

何度も書くが、私は別にこうした営みがまったく無意味だとか馬鹿げているとか、哲学の本質を見誤った「間違った哲学」だなどと主張したいわけではない。教育上一つの意義ある営為であることは、十分に認めているつもりである。

しかし、そこに「哲学」の名を掲げるのであれば、もっと過激さを徹底させていく方向に稼働させてもよいのではないか、ということを思うのである。哲学は「ゴッコ遊び」ではない。それは武道的な一面を持っている。武道は決して「遊び」ではない。それを通じて、自分自身というものが変化し洗練されていく、という意味を一面にもっていなければならない。

 

哲学対話が「対話」を掲げていながら、本当にそこで一人一人に対面している相手を「人」とみなしているかどうかも疑う余地がある。

外的制約として、先にも挙げた「時間の有限性」がある限り、ある一人の人間の見解をその人の見解として深く受け止め、その人自身を人格的に尊重・承認するということは、難しくなりがちである。「いろんな意見があるよね」というときの「いろんな意見」への総括によって失われる「他ならぬその人の意見性」が、却って多様を愚弄していることにもなりはしないか。そうした仕方で自己形成をする人は「自分は多様に対して寛容だ」という自己認識の中で、自分自身は「誰でもあって誰でもない」という極めて世人的なあり方をすることになるのではないだろうか。

 

無論、以上述べてきたことは十分に哲学対話に参与していない素人の、あまりに雑な所感にすぎない。

私はそうした機会提供に奮闘し、試行錯誤を重ねていらっしゃる方々に心から敬意を表する。

ただ、「哲学対話には本当に意味があるのか?」ということ自体を真剣に哲学対話してみる機会があってもいいし、その方が面白いような気がするのである。

 

論理と倫理

最近、倫理的なものや社会的なものについて考える機会が多く、それらに対してどういう態度をとるべきか、ということをおぼろげに考えている。

身近な話で言えば、来年度から倫理の専任になるという件がある。倫理学の専門家ではないから、これからディシプリンとしてのいわゆる倫理学をもっと勉強していく必要がある。Applied Ethics、つまり応用倫理学も講じなければならず、今まで自分がやってきた分野にはない質感に多少の戸惑いがある。そうした影響下で、昨今chatGPTなどが流行っていることもあり、AIに関する倫理問題などへも少しずつコミットし始めている。

結局こういう問題は、教育と法整備、規範的な問題に還元される傾向にある。なにをすべきであって、なにをすべきでないかを教育し、その公的なジャッジを制度によって確立するという、そういう形式になっている。そして、それは当然のことながら我々がそれにおいて生きるための一つのフィクションであり、世界が現にどう在るかを問題にする場合とは次元を異にしている。

西田がものを作る、ポイエシスと言うとき、当然そこには社会制度的なものも含まれていると考え得る。作った社会の中で作られて生きる。それは確かに社会的に生きる上での基本構造となる。しかし社会が作られたものである以上、それは最終根拠ではなく、むしろさらに根拠として問い詰められるべきものが存することを告げている。

技術者であれ芸術家であれ、ものを作る人間がものを作るときに重要なのは、そのものとなって見ることである。そこでは社会的なものはひとまず度外視されなければならない。その論理的根拠はまた後日明白にすべき課題として、社会的なものを視野に収めながらものを作っても、それは大して面白いものにはならない。人を衝き動かすような、そういう動力を秘め難い。規範がそこにストッパーをかけるようなものでしかあり得ないのだとすれば、そのような規範が自由論者の立場から忌避されることにも正当性があるのであり、むしろ規範論者はそのことを積極的に受け止めなければならない。そこで規範を振りかざしても、自由は止められない。

このとき、論理はむしろ規範よりも自由と結託するように思われる。多くの人がそこに異論を唱えるかもしれない。しかし科学的探究がしばしば社会的規範という矩を越えていくように、真偽を求める運動は既存の体系よりも自在である。学的才能に秀でる人間がしばしば社会性の欠落を指摘されるのは、社会性を度外視してものを見るところにあると考えることができる。

そう考えてみると、学校教育というものもなんだかよく分からなくなってくる。表向きには学問への通路であるはずなのに、どちらかというと社会規範の周知が主となるという事態が、学校を不思議な空間にしているのかもしれない。無論、学的探究において社会性は軽んじられてしかると言うつもりはないし、学的探究が一方で社会性と結託することは、必ず矛盾するわけでもない。とはいえ、やはり社会性が最終的な根拠に仕立て上げられるとき、そこに(真理と冥合しようとする場合に)馴染めないものを抱えるのは、指摘しておくべき事実であるようにも思える。

こうなってくると、社会的なものというのをどう考えるべきなのか、いよいよよく分からなくなってくる。論理と倫理はそう簡単に帰一しない。このあたり、田辺はよく悩んだことだろう。

まずは論理を考えるのが、目下の仕事である。

しかしその後で、今一度倫理(その虚構性と当為)を考えてみる必要もある。

人文知糾弾について

年末。来年度の生活環境のために色々と動くことが多い。集中して仕事として出すべきものはあらかた作り終えたので、あとは締切に合わせて動かすだけのものばかりだが、そういう状況は仕事をしていないという感覚なので、なかなかにもどかしい。かと言って、何か新しいことに着手することができるほど、行動に余裕があるわけではない。

 

今日も合間をぬって本を読んだり授業準備をしたりした。Twitterは最近世相の悪さを如実に反映していて息苦しい。それでも自分が単発的に(それこそ「まとまっていないこと」を出力するために)使っている限りでは慣れ親しんだツールだから、なかなか手放すに手放せない。どこかで辞める決断が必要なのかもしれない。

人文知というのは役に立たない。そして役に立たないことでも「世の中を豊かにする」という朧げな価値観でも、可視化されないからこそ今まで目立たず生き残ってきたとすれば、そうした意義が「民主的」に討議されるSNSでこうも可視化されてくると、もうそんな甘いことも言っていられなくなる。苦しい時代に「金持ちの道楽」にリソースを割くほどの余裕なんてない。いい加減そのあたりを弁えてほしい。

そういうようなことをTLで目にする機会が増えた。悲痛だな、と思う。

 

そこでは、有益性を弁護できない分野は消えていく、と一種の自然淘汰のように言われる。

それは多分、ブルジョワジーに対するルサンチマンから出てきてもいる。怨恨で結構。怨まれるに値するお前らが悪い、とまで言われる日が来るのだろうか。

自分は世の中に対して全く役に立たないものをやっていると言うつもりはないが、それでも役に立つか立たないかで言われたら「(お望みの)役には立ちませんね」と言うほかない。この場合、そう問いかけてきた人を納得させること自体に一種の逆説があるからである。

一般に「何の役に立つのか?」を懐疑的に問う人間にとって重要なのは、その人が固定的な現状に居直ったまま周囲がよりよく変化してくれることである。人文知というのは、その居直る自分自身に「立て、動け、変われ」と命ずるものなので、「立ちたくない、動きたくない、変わりたくない、でも自分の身の回りはもっとよくなってほしい」という考えにある人々に有益に作用するものではない。だから、「立ちたくない、動きたくない、変わりたくない、でも自分の身の回りはもっとよくなってほしい、そういう仕方で役に立つのか?」と言われたら、「役には立ちませんね」と答えるほかない。

 

無論こうした考えは、現状の私の雑な所感にすぎない。本当は「教養」とかいう仕方で言われる人文知の源泉をギリシアにまで遡って、真剣にその意義を解明したいと思っているが、その仕事はそれこそ来年度以後になる。私が研究を本格化するまで、人文知が「立ちたくない、動きたくない、変わりたくない」という大勢の人々の怨恨で握り潰されていなければ、と切に思う。(たとえ外圧に潰されても、自分自身の納得のために研究を行なうのが病的な学者であり、その意味で自分は多くの人が「人文学者よりも世の中の役に立っている」と信じて疑わない科学者と同じ志で研究していると思うのだが。)

 

私が学士1年に入学したときにすでに、人文学の危機というのはホットな話題だった。1年の終わりに自主的に書いたレポートも、人文学を専攻する意義について考えるというものだった。まだ学問という学問も修めていない高校生となんら変わりない私が言えたことというのは、当然本当に大したことではない。ただ、そのモチベーション自体は、指導する立場になっている今の身からしてもなお受け止めておかないといけないなと思うところがある。若気の至りを晒すのはあまりに恥ずかしいことだが、議論の種のために引用しておく。

私はこの発表に於いてこの「人文学を専攻する意義」についてを研究テーマとすることとした。序論でも述べるが、人文学分野は今、大学教育の中で危機的状況にあると言える。しかしその危機を回避するだけの「自己弁護能力」即ち「人文学を専攻する意義について論理的に説明するだけの能力」が、人文学専攻者に果たしてどれだけ見出せるか、私は疑問に思う。少なくとも現時点で私は人文学を専攻している身でありながら、人文学を専攻する意義について経済学主義者に快弁を振るうる自信はない。したがって私はこの〔……〕研究発表を契機に、人文学を専攻する意義について改めて思索を巡らせようと思い立ったのである。

所々の表現に目を瞑りたいが、ともかく「「人文学を専攻する意義について論理的に説明するだけの能力」が、人文学専攻者に果たしてどれだけ見出せるか」という論点が重要な指摘であることは間違いない。自分の指導学生が書いたとしてもそう思う。それを「能力」とすることがどれだけ妥当かはなお問う余地があるわけだが、実際「それがないわけでしょ」という仕方で人文学者を糾弾する人の多いことを考えれば、この言説は妥当だと言ってよい。

それにしても、今改めて読み返してみて、学部一年生で(本人はかなりよく勉強していて頑張っていたとは思うが)このレベルとなると、高校生から大学生が知的活動として成しうることなんて、本当に大したことないよなぁと痛感する。職業的に、アカデミック・ライティングを叩き込んでやりたい、という衝動に駆られるのも無理はない。ここまで一貫して学部1年の頃の自分に「他人」として接してきているわけだが、「お前の言いたいことをもっと明確にするために、もっといいものにするために、この細かいところをきちんとしろ」と言いたくてたまらない。が、多分本人はそんなことより「考えた内容」の方がどうしても大事であって、そんな細部のことを指摘されても嫌になるだろうなと思う。そしてまさに、考えた内容に苦闘することがそのまま高校から大学にかけての多感な時期の自己形成に寄与することを考えると、そうした影響力に対しては後手に回らざるを得ないアカデミックな作法をどこまで執拗に指導すべきかも判断が難しい*1。指導は大変だ。

 

話が逸れたが、私が当時こういうことを書いたのは、学部改変が始まり、進行する只中だったからである。これから自分はそれを通じて飯を食っていこうとしている。にもかかわらず、そんなものは役に立たないと言う大人たちが大勢いる。そういう状況の中で、自分が学ぼうとしているものが果たして学ぶに値するものなのか、自分の人生を賭けるのだから、それ相応の値踏みをさせてほしい、と、そういう心境だったのだろう。今はもう後戻りもできないようなところまで来てしまったが、仮にそういう心境になる学生がいたとして、素朴に尊重したいと思う気持ちはある。

 

すでに書いたように、今の私は「人文学を専攻する意義」をその意義が分からない人たちに説得的に主張することよりも、あっさり「役に立たないよ」と言ってしまう方に傾いている(その方が論理に徹している、と考えてのことである)。それで文字通り「役に立たないのか、じゃあ存在してる意味ないじゃん」というふうに短絡的に考える推論に対してはストッパーを演じなければならないが、まずもう「役に立たない」に振り切ってみなければならないかもしれない、と思う。

そして、そのように振り切るということは「開き直る」ということとも違う。「役に立ちませんけど、それを尊重する義務が人々にはあるはずです」なんて主張は、余裕派知識人の高慢にしか映らない。ポピュリズムに対して斜に構えるようなあり方はもうできない。というより、ポピュリズムに対して全然彼岸にあるような文化教養主義は、今後は本当にひっそりと生きていかなければならないようになっていくだろう。小賢しい時代遅れの老人を隅へと追いやるように。

「役に立つ」ということの意義を問い直すというのも大事だが、それも十分ではない。その問い直し自体がインテリの行為というハードルを持つからである。我々インテリが考えるようなポピュリズムというものの実在性自体をもう少し疑うところから始めなければならないのかもしれない。もし我々が相手にしているのが「大衆」であるのだとすれば、それを一振りで転換できるような「学説」は絶対に存在し得ない。そういうところを考えていかなければならないと、ひっそり思う。

*1:アカデミック・ライティングというのは、考えが未熟で、何をどこまでどう固めたらよいかも判断できない、自分が何をしたいのかもあまり分からない学生に最初から求めるものではないだろう。私はアカデミック・ライティングの指導は修士からで十分だと思う。ただ、このことは文字通り「研究」をまともに開始できるのは大学院からであって、学部生はあくまで「学び手」に尽き、「研究」について云々するような次元にはないことをあまりに如実に告げている。

一方的な賞賛に対する居心地の悪さについて

先行きの見えなかった道が、なんとか拓けた。

それは非常に悦ばしいことであって、めでたいことであり、また誇らしく思うべきところでもある。実際この一ヶ月の間で、多くの人に賞賛され、承認されるのを感じた。それは素直に嬉しさに満たされることではある。

しかし、同時にどこかに、居心地の悪さのようなものも残している。

私は手放しで賞賛されることにはなかなか賛同できない。そこには「特権性」というものが生まれるからだ。高校国語の教科書で山極寿一が、狩猟採集民族が共同体の内部で食物の分配を進んで行うのは、社会全体の存続のために、ある一部の特権的なものの現出を避けようとするからだというようなことを言っていた。簡単な話で、誰かが功績を収め、それが讃えられれば、その人は「特別」になる。だがその「特別」は、社会全体のフラットなコミュニケーションにおいてはむしろ痼りになってしまうことがある。

ある特定の讃えられるべき人間を崇める。そうすると、本人は褒め称えられるところに自己の特権性を自覚し、優越感を抱くようになる。それを見ている周囲の人間のうち、手放しで褒め称える人間は、特権者の特権性をますます強化するために尽力する。一方でその「ノリ」に馴染めない人間は、そうした特権性に対する自己の立ち位置を再認し、「できる/できない」の基準などから比較を通じて、褒め称えられた人間に対して冷ややかな態度や侮蔑的な態度をとるようになる場合がある、というわけだ。コンプレックスを通じて憎しみや恨みが顕現する現代社会においては、こうした「特権性」の見直しは十分一つの課題になる。

そういう文脈で、ただ一方的に賞賛されるということに対して、人が社会的関係の不和を直観し、「いやいや、そんなことないですよ」とか「またまた、貴方の方が…」とかいった仕方でそこに生じた特権性による軋轢をなんとか収めようとすることもまた、よくあることである。これも割合人間の「自然な反応」と言ってよいと思う。だが、大抵の場合そうした事後的な修復は間に合わせにすぎず、単なる雑談の中であってすら何らかの蟠りとなって残留する。このことはもしかすると、賞賛する側よりも賞賛される側に顕著かもしれない。

少なくとも私はそういう一方的な賞賛を浴びる中で、そこにいくらかの畏敬や揶揄、ときには嫉妬を感じ、そういう居心地の悪さとどうしても付き合わざるを得なかった。人はそういう場面において、実に多様な対応をとる。ただただ畏まる人、茶化すことでその場を和ませようとする人、自分の感情に整理ができないままに不自然で率直でない物言いをする人。そのいずれにも共通しているように思われるのが、何らかの意味で埋められない軋轢の上にそういう態度をとっているという点だ。そこには明らかな心の距離が生まれている。私はただ、それがなんとなく寂しく、居心地が悪い。

 

こういうことを書くこと自体が不気味で傲岸で、あるいは馬鹿らしいと思う人もいるかもしれない。だから断っておかなければならないが、私は自分以外の人を貶めようとは思っていないし、尊い自分の悲劇を語りたいわけでもない。単純に、日常の雑談において特権性による軋轢が生まれたときに、なんとなく寂しさを覚えるという、ただそれだけの話をまずしている。誰かに改善を求めるとか、私も含めた誰かが改められるべきとか、そういう話をしているわけではない。これは善悪の問題、つまり「良い悪い」の話ではなく、事実そういうことが起きているという点に、同時に伴われている気持ちを勘定に入れた分析にすぎない。

また、これは単に「特権性」に対する批判でもないということも明記しておかなければならない。むしろ学問的妥当性は常に何らかの意味で特権的でなければならないし、社会生活においてまったくの特権性が失われた「完全に平等」な世界なるものは、ひどく空虚なものにならざるを得ないだろう。無論、ここで特権性というものがどういう範囲で何を意味するのかについては全く詳細な議論をしていないから、これは仮説的な言明にすぎない。

私が考えたいのは、とにかくこの種の居心地の悪さである。贅沢な悩みだなと我ながら思う。素直に喜んで、褒められるうちに褒められておけばよいものを、なかなかそう割り切ることもできない。まことに面倒な思考回路をもった人間だ、と思う。だが、気持ちの上で割り切れない以上は論じてみるほかない。

 

私は愚かだから、信用のできる知己に正直にそういう居心地の悪さを打ち明けてみた。無論そのときは自分でも折り合いのつかない、言葉の上でも整理ができていない状態だったから、歯切れの悪い話し方で、なんとか紡ぐという有様だった。それでもそうして話してみて、いつもは「分かる」と同調してくれる(彼のそれが単なる帳尻合わせでない同意であることを、私は確信している)彼が、なんとなく口ごもるのを感じた。

そのとき私は、やってしまった、と思った。軋轢を埋めるための話で、さらに軋轢が深まるような心地がしたのである。その話はそのまま宙に漂って、別の話に移る中で霧消していった。どんどんどんどん溝が深まっていく、そのまま取り返しのつかない関係にまで発展するかのような、そういう不安を残して。そしてその修復も、こうした方法では却って逆効果であることを、私はなんとなく理解した。

 

考えてみれば、その軋轢自体が「根本的に同意を得難いこと」に由来しているのだから、こうした療法が適切でなかったのは当たり前である。でもとにかくその軋轢を言葉にしないままに放っておくと、そのままジワジワと関係に亀裂を作り、我々が互いを信用や信頼ではない「割り切り」で処理する嫌な大人になってしまうような不安があったのである。かつてはこれ以上ないというほどに心を許した人と、異なる場所で異なる道を歩む中で信条の上ですれ違っていくことになるのは、幼い私の心には許せない悲しさであった。それはどうにかして避けたいことであった(この点については、おそらく相手も変わらず同意してくれただろう)。では私はどうすべきだったのだろうか。

 

おそらく、私はそこで進むことで大人にならなければならなかったのだろうと思う。ここで大人になることを避けたのは、昔ながらの関係を保持したいという幼心の現れである。何らかの意味で昔の状態から変わってしまうことは、当時の関係が愛おしく尊いものであればあるほど心苦しい。だから私は、自分が一歩進んだことによってできた距離を、もう一度引き返すことによって埋めようとした。でもそうすべきではなかったのである。元の場所に戻るどころか、結果的には拡がった距離は倍になってしまった。

私はむしろ進んだ分のところから、幼心を慈しみつつ諫めなければならなかった。さらに前に向かうということを、場合によってはさらに距離を、特権性を押し拡げるということを目指さなければならなかった。きっとそうすることでしか、その全体を本当の意味で修復できるような観点というのは体得できないのではないか。

それはあいも変わらず畏敬や揶揄、嫉妬をそれとして感じ続けるということかもしれない。そのたびにまた私は突貫工事によってでもその軋轢を埋めたくなるだろう。私は敬われるような人間ではない、お前と同じだ、ということを言いたくなるだろう。その幼心も忘れるべきではない。それを忘れてしまったら、いよいよ私は偉くもないのに偉ぶる馬鹿で屑な大人に成り下がってしまうことだろう。そうではない、別の仕方での大人へ。幼心を慈しみ、しかし幼心として動くのではない、諫める大人へ。

そういうことを、帰路の車中で考えていた。