古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

因果と善悪、偶然性の問題

喉が焼けるような夜だった。空腹時にロキソニンを飲むのには抵抗があった。ネットの記事で胃が荒れたりしやすいと書いていたから。しかし、眠れない長い夜と耐え難い痛みに押し負けて、一錠飲み込んで眠りについた。

 

前回の記事を書いてまもなく、怠さに呼応して熱が出てきてしまった。先方に連絡をしたら、まずはコロナかどうかを判別しなければならない、それで場合によっては、縁がなかったということで、今回は諦めてもらうことになるかもしれない、と電話越しに告げられた。

電話を切るころにはもう心身ともにフラフラになっていて、それでもとにかく検査してもらうしかない、ということであちこちの医療施設や専用ダイヤルに電話をかけた。どこもいっぱいで、結果を今日中に出してくれる施設はおろか、検査すら週明けになるという答えばかりが返ってきた。

もう無理だ、と思っていたら、徒歩圏内で即日に結果を出してくれる診療所が一つだけ残っていた。ダメ元で電話をかけたら、夕方からの枠がまだ空いているから、今すぐネットで問診を受けて申し込んでもらえれば対応できる、とのことだった。

 

検査の時間まで布団で横になりながら、短い時間にいろんなことを考えた。ああ、まさに恐れていたとおりのことになってしまった。最も杞憂に終わってほしいことがそう終わらないなんて、本当に人生だ。もはや、笑えてくる。なんと惨めで、自分に相応なのだろう。あと一歩というところで、こうやって好機を逃していくのか。

検査を受けたあとで陽性の判定を待つ間も、ほんの一縷の望みだけ残して、気持ちはほとんど諦めに向かっていた。

 

身体が正直に告げている通り、結果は陽性だった。それで、ああ、これで本当に終わった、と思った。あれだけ入念な準備を重ねて、毎日夜も眠れないほど真剣だったのに、その結末がこれだ。なんとも、あまりに滑稽ではないか。面接の合否以前に、自分はそもそも不戦敗で退場することになったのだ。勝負もできずに終わった。これが人生か、と思った。

 

先方や職場に連絡をして、観念してまた床についた。悔しさも恨みも、悲しみもなかった。ただ熱で蝕まれ、うなされながら何度も同じ夢を見た。虚しい夢だった。叶わなかった面接で、何度も何度も、カントの超越論哲学の意義を説明する夢。「超越論的」なんて、普通の人は使わないよ、なぜそんなに必死に——私は説明をしたのだろう? 面接のためなのだろうか。その先に何があったのだろうか。なかなかすぐにはその意義が理解され得ない、しかし理解しさえすれば、非常に強力な世界理解の鍵となるこの哲学の意義を、なんとか理解して欲しかったのだろうか。なんのために?理解のために?共感のために?届きそうで届かないものに、必死に手を伸ばすような、そういう純朴な努力だ。それが、かえって痛々しい。もうそんなことしても無駄なんだよ。だって、私はそもそも面接を受けに行くことすらできないのだから。

夢の中でも自分は自分を眺めながらそう思った。

 

熱が本当に沸騰してくる中で、「陽性」の二文字を見た後から感じていた、なんらかの「清々しさ」に目が向くようになった。ああ、ある意味、これでよかったのかもしれない、と。

 

なんとかして受かりたい、なんとかして自分を認めてもらいたい、なんとか自分の暮らしを楽にしたい。そういう欲望が、一概に悪だとは言えまい。

しかし、私は一次の書類選考が通る前から、そして通ってからは一層、この欲望に取り憑かれて神経質になっていたところがある。それによって人との交流を幾らかなおざりにし、それによっていくらか驕りと罪悪感を往来した。

発熱の直前に、既に私はこの点にいくらか気づいていた。だから九鬼周造の『偶然性の問題』を読もうと思って、文庫を寝床に持ち込んだ。発熱したのはその後だった。

「あり得たかもしれない」をリアルに感じること。それは、西田研究者の私にとっては欲望に支配されることであり、「自由でなくなること」である。我々は常に自由である。そして自由でなければならない。九鬼や偶然性に関心をもつ多くの人は、自由であることよりも、この「あり得たかもしれない」のリアリティにこだわる。そこに、私は九鬼研究者といつも袂を分つところがあった。

だがまさに欲望に絡め取られているここ数ヶ月の私には、あらゆる可能性が「あり得る」「あり得た」リアリティだった。そういうものをひしひしと感じているときこそ、九鬼を読めばその意義をちゃんと掬い取れるかもしれないと、手を伸ばした。伸ばした後、間も無く熱に力尽きてしまった。

 

欲望の道が断たれて、未来が一つの道に整備された。岐路のうち求める方の道が塞がって、もう片方に進むより他無くなった。それで、逆にこれからは、なんだってできるのではないだろうか?——返って欲望から解放されて、数ヶ月沈積した苦悩は一瞬で晴れていくようだった。

ここでは、このことが単なる自慰や諦めでないということを丁寧に説明するつもりはない。それは因果と善悪の関係に根ざして論究されねばならないが、病み上がりの自分にはまだ余裕はない。ただ事実として述べておくだけである。

その意味で、私はやはり間違っていたのである。欲望に執着すること、という最も典型的な苦しみに自ら囚われて苦しんでいる。私は「囚われないべきであった」。それが胸の内にスッと入ってきたから、高熱その他諸々の症状に悲鳴を上げながらも、心のうちは平安を感じた。

 

一つの仕事が終わったとき、次の仕事をするときに、見えているものが何もない——この「何もない」ということが最も望ましいのである。何かが具体的に見えているなら、仕事が終わったのではなく、仕事が残っているにすぎない。まだ終えられていない仕事に心奪われているにすぎない。だから仕事は終えなければならない。終えた後は、何も無いというところから始めることができる。自由ということが如実に現前する。

 

先方から電話があって、面接を延期してもらえることになった。岐路はまだ潰えていない。この学びを活かさなければならない。

 

 

岐路の前

誰も見ていないだろうから、それでいてほんの僅かな誰かに見てほしいから、ここに書くことにする。

 

夏休みが終わって、新学期が始まった。授業は授業として手を抜いているつもりは全くないが、それでも生徒たちには悪いことに、この一週間は自分は心ここにあらずという感じだった。

公募に出した書類が通って、数日後に最終面接を控えている。人生の一つの大きな岐路という感じがする。一次に通るだけでも大いに喜ぶべきところだが、それだけに一層最後までという気持ちは募る。毎日仕事や研究の合間に入念に準備をして、とりあえずの用意は終えた。

 

問題はむしろ生来の心の問題である。何度も書いてきたように、過度な神経症である自分にとって、こういうイベントはほとほと辛い。日中も気にかけてストレスになるし、夜は眠れなくて辛い。毎晩、残暑の蒸した重みと、いかにも健康に悪そうなエアコンの風に当てられて、考えないように考えないようにすればするほど、身体が火照ってくる。そうしてその火照りにハッとして、汗が滲むのを感じる。ダメだダメだ…と思っても、冷風に晒された肌が気持ち悪い。かといって風を止めてしまえば、寝苦しくて寝れやしない。そうやって適温でエアコンをつけて寝るしかないのだが、もしこれが原因で、風邪でも引いたらどうしようか、と思う。ご時世がご時世なだけに、不安は一層リアルになる。気分は最悪になる。

 

毎日そんな感じだから、心身ともに晴れない。熱があったら…。もし当日付近に熱が出たら、面接は延期やオンラインで対応してもらえるだろうか。それとも、当日に縁がなかったという理由で、やむなく落とされるだろうか。そういうことを考えてしまう。そうなったら、いかにも自分に相応で、馬鹿馬鹿しくて、本当に滑稽だ。本当にくだらない。幸い、毎日できる限りの健康には気をつかっているから、今のところ身体に客観的な異常は見られない。主観的にはいくらでも怠いし、いくらでも辛い。毎日体温計で熱を計るときに、平熱が表示されるのを見てホッとする。ほら見ろ、お前は考えすぎなのだ。身体は正直だ。別になんともない、と言っている。健康だ。ただ、お前の気分が落ち込んでいるだけだ。そうだ、心配ない。元気を出すことだ、それでいいのだ…と。

 

新学期になって記録簿をつけていると、一昨日普通に授業を受けていた生徒が「コロナ陽性」で出席停止になっているのに気づく。ええ…と思う。本当に、ただ、そうとだけ思う。昨日は授業で声を張りすぎたようで、喉の調子が少しおかしい。喉がイガイガ、Googleで検索するとコロナの話題がすぐに出てくる。またいつもの妄想が始まる。

ふと外を見る。今日は仕事もない。本当は大学に行くつもりだったが、絶対行かなければならないというわけでもないから、もう下手に出ていかないことにした。曇天で、ひんやりとした風が吹いている。暑さを冷やすには十分の、むしろ別の何かに——蒸し暑い怠さよりももっと文字通り病的な何かに、自分を連れて行きそうな、そんな風。

悪いように捉えるのがすぎるのだ。いっそ、暑さを打ち消すに清々しい、と思う。こんなことを鬱屈にタイピングしてるよりも、風を思いっきり吸い込んで、身体の内側を通り抜けていってほしいと思う。それで、全部全部、洗い流してくれ。

 

またいつものように思う。こんなふうに書いていることが、後になってからただの杞憂だったということになれば、どんなにいいだろう、と。一刻も早く、時が過ぎ去ってほしい。しかし時はただ過ぎるばかりだ。せめて肩を落とさずに、可能な限りで仕事をし、可能な限りで休みながら、可能な限り溌剌に振る舞うより、他にないのだ。それが空元気に思えて、虚しくなったとしても、その引力に気圧されずに。

 

 

 

 

対象への議論

参院選が近づいてきて、Twitterのタイムラインが政治色を強く帯びてきた。この手の話題は頗る苦手だ。

 

第一、不可解なことが多すぎる。経験と現実の差異、と言うべきだろうか。自分の周りでこれだけの人が「今の政治はおかしい、選挙に行くべきだ」と言っているのに、実際の投票率や結果を見るとあまりにそうではないものが出てくる。今回もおそらく、自公与党は変わらないし、維新が少し議席数を伸ばして、他はまちまちという感じだろうか。選りすぐりの中から惜しんで一人を選ぶのではなく、もはや選びたくないのに誰か一人「一番マトモそうな人間」を選ばないといけない選挙形態が、あまりに馬鹿らしい。それでも毅然とした態度で投票に行く「大人」が、どうやら少ないらしい。また「大人」と「子供」だ、と思う。

 

諸外国を見ていても、とりわけアメリカは大変そうだ。これは日本だけの問題ではない。結局この21世紀は、誰もが自分自身を引き受けられなくて、手をこまねいている時代なのだ。

 

情報が情報で塗り替えられ、あまりに対象への議論は煩雑である。対象への議論においては「何が正しくて何が正しくないのか」があまりに見えづらい。政治の問題を考えるときには特にそうだ。そうなると、自分などはそもそも、対象への議論それ自体の性格がもつ問題なのだから、それ自身を内省する立場から見ざるを得ないのではないか、と考えてしまう。

 

対象への議論が煩雑だ、と言ったが、大抵の議論はそうだと思う。論理主義を軽視し、基礎づけの不十分な心理主義、経験主義に基づいて、超越的なものへの議論が失われていく中で、全ては「多様化」という言葉でそれ自体曖昧に相対化された。未熟さも成熟も等しく肯定された。そうして皆が未熟者であることを恥じなくなった。否、未熟であることを恥じることが、一種の「被害」であって、「辱められること」という認識に落ち着いた。万人よ、被害者であれ。

 

私は未熟を肯定することは重要であるとは思う。未熟であることは否定されねばならない、と必ずしもそう思っているわけではない。しかし一方で、その点は田辺の方にシンパシーがあるというか、単に未熟であることを肯定するだけなら、人に成長はないと思ってしまう。成長を望まないこともまた一つの多様性であるというなら、それまでなのかもしれない。

 

成長というのは最近よく考える。場所の自己限定から、弁証法的一般者の議論から、成長ということをどのように位置づければよいのだろうか、ということを思う。ここに難点がある。個物が個物自身を限定することが成長であるとすれば、個物の自己限定は死即生ではない。死んだものは二度と生き返らない。むしろ死即生こそが成長であるということになるのだろうか。そうであるなら、成長するためには個物は死ななければならない。しかしそのような個物はもはやモナド的な意味での個物とも言い難い。モナドにおける成長ではなく、成長におけるモナドという意味になる。モナドにおける成長は、ライプニッツであれば連続律に基づいて考えるような気がする。しかしそれは西田的には多分NGである。自由ということを考えることが難しくなるからだ。だから成長におけるモナドというものを考えなければならなくなる。しかしそれはもはやモナドの意義を持たなくなる。単なる統一という意味になる。

この問題を長いことずっと考えてきて、未だにどうするかで悩んでいる。解けそうだが解けない。もう少し真剣にやってみればなんとかなるのかもしれないが、少なくともまだ解けていない。

 

いつのまにか話題が成長とモナドになってしまったが、ここで書きたかったのは「対象への議論」についてだった。こういう表現はあまり使われないだろうが、とりあえず思いついた暫定的な用語でしかない。場所的論理に対して対象論理という言葉が晩年の西田においては使われるが、そこからの類推である。要するに、於てあるものだけを見て議論するということを考えている。対象という言葉を使ってしまうと、昨今はオブジェクト指向存在論とか色々あるから、却って誤解を招くかもしれない。於てあるものしか見ていない、というあまりに当たり前のことを示すのに使っている。もっと言えば、限定されたものの中でやりくりしようとする思考全般を考えている。

 

限定されたものの中でやりくりをすることが可能であるのはなぜか、という問いも、ここに含まれていると考えることができる。資本主義の時代は、作られたものの時代である。作るものへという方向が十分に考えられない。大衆の消費が一義的である。作られたものが作るものを作る、ということが、生理学的なレベルでは考えられても、思想的なレベルでは考えられない。思想が作られるということがない。少なくとも自覚がない。

 

思想が作られるということと、理解ということの違いについて考えてみなければならない。理解するということが必ずしも思想を作るということにとって十分でないということを考えてみなければならない。解釈学的な理解、さしあたって大抵の理解、それは思想を作るということにならない。田辺が弁証法を導入するのもそういう問題にある。

 

 

 

 

内省

先ほど記事を書いてとりあえず仕事をした気になって、昼間はずっとベッドで過ごした。気に病むことがある以上、休むしかない。気力もないし、明日からまた仕事なのだから休めるだけ休んだほうがよい。そう思って昼食を食べたらすぐにカーテンを閉めた。

少しだけ眠ったような気がする。でもやがてなんだか寝ているのも辛くなって、のそのそ起き出してデスクに向かった。

いくつかメールを処理しながら、淡々とドイツ語の翻訳を出す。研究をしているときは少し気持ちが楽になる気がする。余計なことを考えなくて済むからだろう。それでも研究するということは疲れを伴うわけで、一段落したときにはいつものように疲労を感じた。

夕食の後でフランス語の翻訳に移ろうかと思ったが、やはり気が重い。どうせやるなら、明日の授業準備をすべきだとも思う。この記事を書いたら少しそれに手をつけるつもりだが、この清算しようのない感情をどうにかしたいと思って、とりあえず筆をとることにした。もはやこのブログを読んでいる人などほとんどいないだろうが、できればそのほうがありがたい。誰にかに向けて話したい、ということもあるし、一方であまりデリケートな部分を知られたくない、荒らされたくないという気持ちもある。しかも抱えているものが抱えているものなだけに、面と向かって誰かと話す気には到底なれない。こういうとき、書くことができるというのは素晴らしいことだな、と思うし、そういう風に生きてきてよかったと少しホッとする。

 

とにかくこの一ヶ月は色々なことがありすぎた。

新年度が始まって授業の方針も変わり上司も変わり遥か年上の同僚が増え相性は最悪でとにかく節操ない職場事情。ようやく年度初めての中間考査が終わったが、十分な授業のストックもないからあまり悠長にしていられない。例年と違うサイクルや時間で仕事をしなければならなくなったのも辛い。

それでいて十年以上付き合ってきた恋人にプロポーズしたことで、いよいよ新しい生活を準備しなければならなくなったプレッシャーもある。とにかく不安しかない。それは相手に対する不満とかでは一切なくて(本当にそういう不満はない)、単純に自分に身分の不安定さ、金銭的な切迫状況、周囲に対する配慮などである。

そういう中で就職活動も本格化し始める。今できる限りの最大限の努力でとりあえず公募も出してみるが、世の中はそんなに甘くない。この業界で就職活動が厳しいというのは周知のことで、自国の現状を見ている限り夢も希望もない。こんなに安定が欲しい、と思ったことはない。

その割に、今自分が何より取り組まないといけない博士論文も腰を据えて書く時間がなかなかない。金銭的な不安を埋めるために仕事を増やしたが、例年に比べて気を使うことも多く仕事の効率も悪く結局仕事から帰ってきても疲れて研究する余力が残っていない。そんな生活が重なれば、当たり前だが研究上の不安はどんどん傘増ししていく。五月病以上に、六月のこの不安定な気候と、たまにかけるエアコンの風が、自分の身体を蝕んでいる。

 

ようやく中間が終わって、採点に追われながら胃の痛い仕事に疲弊しているところで、高校時代からよく面倒を見ていた後輩が急逝したという連絡を受けた。これがまた心に応えた。間接的に、自分にも非があるかもしれないような、そういう雰囲気だったから、応えた。詳細は分からないし、ここに書けるようなことでもないが、それだけに一層重く残り続けている。

 

見えないところで蓄積があったのかもしれない。とにかくここ数日は、変なミスを連発するし、これまでの自分からは考えられないような、我ながら信じられない失敗もした。どうしようもなく重いし、どうしようもなく嫌な気分だ。ふとした折にフラッシュバックする。こんなコンディションで、本当に明日から教壇にまた立てるのだろうか。取り繕えるのだろうか、という気持ちになる。

 

どうしようとも人生。トラジックな人生。どこまで行ってもトラジックだが、それがこうも残酷な形で表面化するとは、驚きである。頭も痛い、吐き気もする。体調が優れない。でも「大人」だし「先生」だから仕事を休むわけにはいかない。泣き言を言って、大事を失ってはならない。

酒にも逃げられない、タバコにも逃げられない。誰かに相談しても気が晴れない。研究だけが一縷の望みと言っていいかもしれない。研究にだけ未来がある。まだせめて救いがあるとも言えるかもしれない。その先にも未来がないかもしれない、とはもう考えたくない。常識的に考えて、フランス語やドイツ語で本を読んだり哲学を中心に高度な議論ができるということはすごいことなのに、そういう努力を積み重ねてきた人間が報われないような未来を、なぜこの国の「大人」たちは描いているのだろうか。それすら「言ってられない」自転車操業なこの生き方には、世界はあまりに残酷すぎる。

 

なんだか書いていて悲しくなってきてしまった。それでいて少しは気が晴れただろうか。ミスをしたり、自分が普段し得ないような失敗をするというのは、自分が横柄で、調子に乗っていて、不遜だからだろうか。そうも考えた。そういう自分の態度を思わないことがないわけでもなかった。例えば自分の倍以上生きている人と話すときに、こんなラフな話し方をしていいものだろうか、どこかで自分は特別だと思ってやしないか、そういう不遜さがお前の周りに漂っていないか、ということを感じたり。自分のやっていること、自分の考えていること、そこになまじ自信が出てきたがゆえに、お前はとんでもない「大人」になろうとしているのではないか、と思ったり。授業で『山月記』なんて読んだものだから、余計に自分の自尊心が嫌になる。そういう傲りが、自分のミスにつながったのだ、とも解釈できてしまう。

 

もちろんそういう変なプライドの問題もあったかもしれない。でもやはりそれ以上に、色々心に応えることがここ数週間で多かった事実を抜きにすることはできない。休養も必要だが、気持ちの転換が必要だ。我々は必ずしも所与から出立するわけではない。この重苦しい気持ちの外に出られないでいる感情的な所与からは、むしろ逃れるべきである。自分の考えでは、そこに西田が絶対無の場所と呼んだものの意義があるはずだ。今このように抱えている事実を見るものは、今はまだ切り離すに切り離せないかもしれないが、やがてその対象は必ず「私」ではなくなる。この感情ともオサラバできる。そこに「自由」がある。既に見るものは自由なのだ。

この重苦しいものからはむしろそう簡単に自由になるべきではないのかもしれない。それは桎梏や「負課」であるべきなのかもしれない。ただ、少なくとも自分は今、負課を背負うことだけでは耐えられない。所与が負課であると同時に、そのことが自由に拓かれてもいるということ。それが現実の世界の論理的構造である。西田はこれを明らかにした。

 

背負うべきものと世界。少し書いたら整理もできたような気がする。

そう簡単に折り合いがつけられるものではない。この場限りですんなり事が片付くわけではない。ただ、今まで自分はこうやって気持ちを確認してきたし、そうやって思想を形成してきた。それと同じようにここに書き綴ることによって、いくらか自分の進むべきこれからを思い描くこともできたように思う。

 

痼りをそのままにするのは自分の性ではない。しかし今後も触られて疼いて、それがまたパッカリ開いてしまうかもしれない。それでも明日を迎えるし、頑張りたいと思う気持ちの芽生えは大切にしたい。

 

とりあえず、頑張ってみようと思う。

 

 

田辺研究のこれからについて

人生でそうそう起こることのないド偉い過ちを犯してしまった。最近は本当に反省が必要だ、ということを思う。自ずから然る生き方、自由を考える中で、出過ぎたことをしてしまっているような気持ちにもなる。浮ついたことを考える前に、善く生きなければならない。

 

昨日はそういう暗いコンディションの中で、講演会に参加した。田辺研究者の仲間も増えてきて、色々と田辺の語り直しがある中で、西田や田辺の勉強をしたい、勉強会があれば参加してみたいという声も聞いた。

一晩明けて、そういう声が具体的にメールで届いたりもしていたので、今し方返信をして一息つきながら、改めて考えてみた。

 

田辺を読み始めるとき、何から読めばいいかという問題は、西田の場合と同様に非常に難しい問題である。自分も研究し始めるときに田辺研究専門の先輩に聞いてみたが、とりあえず解説としては辻村公一、田辺本人のものとしては『哲学の根本問題』が無難であるという回答を得た。今振り返ってみて、自分としても概ね異論はない。

西田の場合とは違う意味での難しさが田辺にはある。田辺の場合隅々まで分析が行き届いているがゆえに、読み手として議論したい部分が既に明らかにされてしまっていて、テクストの解釈をめぐって議論し合う、ということがなかなかできないような気がする。あるいは、その議論のために必要とされる前提知識がハイレベルであるがゆえに、実りのある議論をしようと思うとついていけない人が出てきかねないという問題もある。

 

先日査読に通ってしまった論文でも、そういうことを書いた。通ってしまった、という言い方で不快に思われる方もいるかもしれないが、学術的成果というよりもアカデミックにおける政治的な発案に近いので、正直に言って手放しで喜べないのである。テクストを綿密に解釈したり哲学的に実りある議論を構築したりしたわけではないので、後ろ指をさされるような心地がする。

そこで書いたことだが、田辺研究が盛り上がるためにはやはり田辺の魅力を味わいながら読む人が増えていくことが重要である。で、その魅力の一端を示そうともしてみたが、なんとなく欺瞞的な文章になってしまったので、心の底では恥じている。が、そういう声を出さないわけにもいかないので、恥を忍んで公刊してもらう他ない。

「田辺を読む意義」というふうに議題を定立してしまうと、これは難しい。手放しでアピールできないポイントが、専門の研究者として見てもある。でもそこに入り込んでみることで得られるものも確実にある。安易に巻き込まれると危険だが、その動力を体感することに大きな意義がある、という意味では、田辺哲学はまさに「渦動」である。

 

こういう渦動的な性格を見ていると、田辺は西田のようには万人受けするタイプの哲学者ではないだろうな、という実感がいよいよ身に沁みてくる。誰もが絶叫コースターに乗りたがるわけではないように、田辺の渦動は人を選ぶところがある。人を選ぶような哲学が果たして哲学だろうか、という批判ももっともだが、そこはもう彼の「哲学ならぬ哲学」を受け入れるしかない。そういうものとして受け入れた上で、それを楽しめる人がいるのもまた、事実なのだろう。

 

このように考えてみると、田辺哲学を全面的に研究として広めていくことは、万人に絶叫コースターを布教するような無意味な徒労であるようにも思われる。かと言って当然、それは一部の好事家の専有品になるのはもったいなさすぎる。一体どうすべきなのだろうか。

 

ここまで考えてみて、また別のパースペクティブが見えてきたことを最後に付記しておきたい。西田哲学が人々の依代になるような意味で田辺哲学がそうなることはおそらくあまりない。それは、我々のような人文学研究者の固有性の意義、人文知の担い手の「交換不可能性」とも関わっているはずである。西田はインフルエンサーだったが、田辺は学者だった。現今の人文学研究者の大半が後者であるということは、田辺にしか論じることのできないものが、西田にしか論じることのできないというのとは全く別の意味で考えられるということである(例えば現状初期田辺の数学論について、おそらく私以上の専門家がいないのと同様に)。そういう交換不可能性は、もちろん西田のような人物の交換不可能性に比べれば、所詮は知識人的という意味で、よほど交換可能ではある。それでも、人間が担いうるアンシクロペディックな特異点に対して、例えば現今のようなインターネット下でのオープン・アクセスな時代に、どのような位置づけを与えうるかという問題は、ここに関与することになるだろう。そういう意味では、田辺研究が盛り上がらないことと、人文学研究が(外野から見て好事家の趣味だと言われたりとか、教養が忌避されるとかいう意味で)盛り上がらないこととは、無関係ではないのかもしれない。

 

 

成長

ひとまず戻ってきて、特に恐ろしいことは起こっていない。ただ、宿泊した夜はうなされて眠れなくてほとほとまいった。その後も発熱を伴わない慢性的なだるさが続いている。新年度だというのに、幸先が悪い。心身も弱る。

 

一と多。普遍と個別。この結合をどのように考えるかということを、自分の課題としても思う。歴史性によって考えようとする、ということに最近は同意もするようになった。具体的なところから出立しようとするなら、そうでなければならない。しかし、一つの鋭利な普遍性が成立し得るということそのこと自体もまた、十全に考えられなければならない。それは単なる歴史性に基づいては考えられない。いわゆる具体性というものを欠くというところに、それの意義がなければならない。歴史性の否定というところがなければならない。

 

人の成長ということも考えなければならない。成長ということがいかなることであるかを考えなければならない。それは潜勢現勢で語ることができないものであるのは言うまでもない。血縁的潜在性(所謂「遺伝」)に不十分さがあるということは既に広く認められるところであるが、それが環境的潜在性というア・ポステリオリな潜勢に変容しただけであれば、なおも我々は成長を潜勢現勢で語っているにすぎない。それを意味的に基礎づけるものは目的論に収束すると思う。弁証法と批判哲学の境界線は目的論である。目的論が目的を棄てるところに弁証法がある(その意味で、ヘーゲル弁証法は一面において目的論的であって弁証法として不十分であるという見方もできる)。目的なき目的もまた目的論である。しかし弁証法の内部には目的論が占める位置がなければならない。弁証法は決して目的論ではないにせよ、目的論が目的論として成立するところは弁証法においてでなければならない。このようにして、歴史的世界の弁証法的構造において所謂通俗的社会的コンテクストが活かされるのでなければならない。そうでなければ、現実の世界の抽象的限定面といったところで、我々は具体的現実の意義を理解することはできない。特に現代は、具体的現実という術語を各々の抽象的限定に対して用いるばかりなのだから、我々はこの関係をよく考えてみなくてはならない。

 

この関係とそのまま一致するわけではないにせよ、成長段階においては、抽象的限定こそが真実である。未熟者にとっての真実は抽象的限定でなければならない。自我の目覚め始めた幼児に世界の意義を説くことはできない。彼にとっては母親の周辺こそが世界である。しかし、それは具体的世界でありながら、具体的世界ではないと言わなければならない。幼児にとって幼児が生き抜くための母親の生活を支える経済的基盤や社会的保障は具体的世界ではないが、だからと言って経済や社会が具体的世界ではないとは言われない。むしろ「幼児にとっての」具体性の尺度がありつつ、それとは必ずしも矛盾しないはずだという信念のもとで経済や社会の具体性という一層本質的な具体性が予想される。この場合、我々は「Xにとっての」という仕方で、ソフィスト相対主義に立つ可能性がある。悪しき歴史主義はこの相対性を根城とする。基礎づけを経ていない「多様性」を唱導するあらゆる言説は、この「Xにとっての」という尺度でそのXを懐柔しつつ、裏面にそれとは裏腹の可能性を常に予想している。現代は再びソフィストの時代となる。

 

抽象的限定が真であるということをよく考える必要がある。具体的普遍の思想の持ち主は、抽象的限定を軽視する傾向にあるが、むしろ真なるものとして限定されるものは常に抽象的なものであって、真偽の取り糺されるべき場所は限定された一般者においてである。ともすれば、具体的普遍それ自身が「真」であるということはまったく不可解でなければならない。具体的普遍の思想は自己矛盾的である。真であるとは言われない。また、だからと言って偽であるとも言われない。そういう意味で、真偽を基準とする問題の射程外にあって、真偽を基準とする問題こそが具体的現実であるところの所謂通俗的社会的コンテクストにおいては、それはまったく無為でなければならない。哲学が、まったく実生活に対して無益な所以である。

 

ここ数日、そういうことをよく考える。哲学は本当に社会の役に立たない。哲学は無力である。しかしそれが単なる「懺悔」なら、西田も述べたように「後悔」にすぎない。それ自体通俗的社会的であるよりほかない。無論、ここに筆者の哲学的素養の不十分さこそが社会の役に立たない無力さの原因であって、それを哲学一般とすり替えるべきでないという批判は十分あり得るだろう。それについても否定はしない。しかしとりもなおさず我々が問題にしているのは具体的なものと抽象的なものとの関係であり、この隘路の打開を講じ得る人がいるというなら、ぜひともその考えを聞かせて欲しいと思う。