古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

岐路の前

誰も見ていないだろうから、それでいてほんの僅かな誰かに見てほしいから、ここに書くことにする。

 

夏休みが終わって、新学期が始まった。授業は授業として手を抜いているつもりは全くないが、それでも生徒たちには悪いことに、この一週間は自分は心ここにあらずという感じだった。

公募に出した書類が通って、数日後に最終面接を控えている。人生の一つの大きな岐路という感じがする。一次に通るだけでも大いに喜ぶべきところだが、それだけに一層最後までという気持ちは募る。毎日仕事や研究の合間に入念に準備をして、とりあえずの用意は終えた。

 

問題はむしろ生来の心の問題である。何度も書いてきたように、過度な神経症である自分にとって、こういうイベントはほとほと辛い。日中も気にかけてストレスになるし、夜は眠れなくて辛い。毎晩、残暑の蒸した重みと、いかにも健康に悪そうなエアコンの風に当てられて、考えないように考えないようにすればするほど、身体が火照ってくる。そうしてその火照りにハッとして、汗が滲むのを感じる。ダメだダメだ…と思っても、冷風に晒された肌が気持ち悪い。かといって風を止めてしまえば、寝苦しくて寝れやしない。そうやって適温でエアコンをつけて寝るしかないのだが、もしこれが原因で、風邪でも引いたらどうしようか、と思う。ご時世がご時世なだけに、不安は一層リアルになる。気分は最悪になる。

 

毎日そんな感じだから、心身ともに晴れない。熱があったら…。もし当日付近に熱が出たら、面接は延期やオンラインで対応してもらえるだろうか。それとも、当日に縁がなかったという理由で、やむなく落とされるだろうか。そういうことを考えてしまう。そうなったら、いかにも自分に相応で、馬鹿馬鹿しくて、本当に滑稽だ。本当にくだらない。幸い、毎日できる限りの健康には気をつかっているから、今のところ身体に客観的な異常は見られない。主観的にはいくらでも怠いし、いくらでも辛い。毎日体温計で熱を計るときに、平熱が表示されるのを見てホッとする。ほら見ろ、お前は考えすぎなのだ。身体は正直だ。別になんともない、と言っている。健康だ。ただ、お前の気分が落ち込んでいるだけだ。そうだ、心配ない。元気を出すことだ、それでいいのだ…と。

 

新学期になって記録簿をつけていると、一昨日普通に授業を受けていた生徒が「コロナ陽性」で出席停止になっているのに気づく。ええ…と思う。本当に、ただ、そうとだけ思う。昨日は授業で声を張りすぎたようで、喉の調子が少しおかしい。喉がイガイガ、Googleで検索するとコロナの話題がすぐに出てくる。またいつもの妄想が始まる。

ふと外を見る。今日は仕事もない。本当は大学に行くつもりだったが、絶対行かなければならないというわけでもないから、もう下手に出ていかないことにした。曇天で、ひんやりとした風が吹いている。暑さを冷やすには十分の、むしろ別の何かに——蒸し暑い怠さよりももっと文字通り病的な何かに、自分を連れて行きそうな、そんな風。

悪いように捉えるのがすぎるのだ。いっそ、暑さを打ち消すに清々しい、と思う。こんなことを鬱屈にタイピングしてるよりも、風を思いっきり吸い込んで、身体の内側を通り抜けていってほしいと思う。それで、全部全部、洗い流してくれ。

 

またいつものように思う。こんなふうに書いていることが、後になってからただの杞憂だったということになれば、どんなにいいだろう、と。一刻も早く、時が過ぎ去ってほしい。しかし時はただ過ぎるばかりだ。せめて肩を落とさずに、可能な限りで仕事をし、可能な限りで休みながら、可能な限り溌剌に振る舞うより、他にないのだ。それが空元気に思えて、虚しくなったとしても、その引力に気圧されずに。