古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

夢日記

7時半起床。頗る嫌な夢を見た。

連日の授業準備や企画もひとまず落ち着き、喫緊の締め切り仕事も一旦片がついて、少し落ち着いて研究ができる、あるいは余裕があるはずだったのが昨日だ。少なくとも月曜の夜まではそう思っていた。

だが、実際は起きてフッサールヘーゲルを読んで、散歩がてら散髪に出かけて、帰ってきてからはほとんど本格的な研究に集中できなかった。あれもこれも目につく、という状況があまりよくなかったのかもしれない。近場にある研究会、12月の発表(これはスライドと原稿両方準備しないといけない)、デスクトップ上に置かれた新カント学派の原稿、右を見れば読み残した海外文献、邦語文献、左を見れば長らく滞ってしまっている語学書。特に何をしているわけでもないのに、なんだかそれだけで疲れてしまったような気がする。

それで気分転換でも少ししようかと思ったが、驚くことにその気もおきない。当然本を読む気力はない、小説も新書も勘弁だ。かと言って雑録をしたためることもできない。楽器を弾く気にもなれない。寝て英気を養うしかない。そう思って、昨日は夕方に少し寝て、起きてまだだめで、夕食をとったあとはまたすぐに寝た。8時半くらいだったと思う。

実質的には眠りについたのは10時くらいだったかもしれない。ただどうも寝具の調子が悪いのか、首回りが変に痛いし布団は歪な形になるしで、正直に休まらなかった。それでか分からないが、そうやって頗る嫌な夢を見た、というわけだ。

 

本当に嫌な夢で、しかもリアルで生々しい夢だった。高校時代大嫌いだった教師から、しつこく嫌がらせを受ける夢。ベルクソンの『物質と記憶』に散りばめた付箋をぐちゃぐちゃにされ、つまらない気取った本を読みやがって、と一蹴される夢。ああ、なんでこんなによく覚えているんだろう、と思う。夢の中での憤慨も実にリアルで、そうやってまた生徒の立場から見た、不釣り合いな教師の横柄さに唇を噛み締めるような体験だった。

当然目覚めは最悪だ。しばらく放心するしかなかったし、そう易々と切り替えて「今日もがんばろう」なんて清々しい思いにはなれない。やけに晴れた空の青さが嘘くさくて仕方ない。

 

それでとりあえずこうやって稿を起こした。今日は昼から研究会がある。研究会に出れば、いつも通りの自分でいられるだろう。身体がしんどいわけではないから、きっとそこの心配はいらない。だが一人でいると参ることが多い。かと言って身近に人がいればいいというものでもない。

 

よく寝て食べることだ、と思う。それでも夢に魘されるなら、どうしろというのだろう。