古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

一方的な賞賛に対する居心地の悪さについて

先行きの見えなかった道が、なんとか拓けた。

それは非常に悦ばしいことであって、めでたいことであり、また誇らしく思うべきところでもある。実際この一ヶ月の間で、多くの人に賞賛され、承認されるのを感じた。それは素直に嬉しさに満たされることではある。

しかし、同時にどこかに、居心地の悪さのようなものも残している。

私は手放しで賞賛されることにはなかなか賛同できない。そこには「特権性」というものが生まれるからだ。高校国語の教科書で山極寿一が、狩猟採集民族が共同体の内部で食物の分配を進んで行うのは、社会全体の存続のために、ある一部の特権的なものの現出を避けようとするからだというようなことを言っていた。簡単な話で、誰かが功績を収め、それが讃えられれば、その人は「特別」になる。だがその「特別」は、社会全体のフラットなコミュニケーションにおいてはむしろ痼りになってしまうことがある。

ある特定の讃えられるべき人間を崇める。そうすると、本人は褒め称えられるところに自己の特権性を自覚し、優越感を抱くようになる。それを見ている周囲の人間のうち、手放しで褒め称える人間は、特権者の特権性をますます強化するために尽力する。一方でその「ノリ」に馴染めない人間は、そうした特権性に対する自己の立ち位置を再認し、「できる/できない」の基準などから比較を通じて、褒め称えられた人間に対して冷ややかな態度や侮蔑的な態度をとるようになる場合がある、というわけだ。コンプレックスを通じて憎しみや恨みが顕現する現代社会においては、こうした「特権性」の見直しは十分一つの課題になる。

そういう文脈で、ただ一方的に賞賛されるということに対して、人が社会的関係の不和を直観し、「いやいや、そんなことないですよ」とか「またまた、貴方の方が…」とかいった仕方でそこに生じた特権性による軋轢をなんとか収めようとすることもまた、よくあることである。これも割合人間の「自然な反応」と言ってよいと思う。だが、大抵の場合そうした事後的な修復は間に合わせにすぎず、単なる雑談の中であってすら何らかの蟠りとなって残留する。このことはもしかすると、賞賛する側よりも賞賛される側に顕著かもしれない。

少なくとも私はそういう一方的な賞賛を浴びる中で、そこにいくらかの畏敬や揶揄、ときには嫉妬を感じ、そういう居心地の悪さとどうしても付き合わざるを得なかった。人はそういう場面において、実に多様な対応をとる。ただただ畏まる人、茶化すことでその場を和ませようとする人、自分の感情に整理ができないままに不自然で率直でない物言いをする人。そのいずれにも共通しているように思われるのが、何らかの意味で埋められない軋轢の上にそういう態度をとっているという点だ。そこには明らかな心の距離が生まれている。私はただ、それがなんとなく寂しく、居心地が悪い。

 

こういうことを書くこと自体が不気味で傲岸で、あるいは馬鹿らしいと思う人もいるかもしれない。だから断っておかなければならないが、私は自分以外の人を貶めようとは思っていないし、尊い自分の悲劇を語りたいわけでもない。単純に、日常の雑談において特権性による軋轢が生まれたときに、なんとなく寂しさを覚えるという、ただそれだけの話をまずしている。誰かに改善を求めるとか、私も含めた誰かが改められるべきとか、そういう話をしているわけではない。これは善悪の問題、つまり「良い悪い」の話ではなく、事実そういうことが起きているという点に、同時に伴われている気持ちを勘定に入れた分析にすぎない。

また、これは単に「特権性」に対する批判でもないということも明記しておかなければならない。むしろ学問的妥当性は常に何らかの意味で特権的でなければならないし、社会生活においてまったくの特権性が失われた「完全に平等」な世界なるものは、ひどく空虚なものにならざるを得ないだろう。無論、ここで特権性というものがどういう範囲で何を意味するのかについては全く詳細な議論をしていないから、これは仮説的な言明にすぎない。

私が考えたいのは、とにかくこの種の居心地の悪さである。贅沢な悩みだなと我ながら思う。素直に喜んで、褒められるうちに褒められておけばよいものを、なかなかそう割り切ることもできない。まことに面倒な思考回路をもった人間だ、と思う。だが、気持ちの上で割り切れない以上は論じてみるほかない。

 

私は愚かだから、信用のできる知己に正直にそういう居心地の悪さを打ち明けてみた。無論そのときは自分でも折り合いのつかない、言葉の上でも整理ができていない状態だったから、歯切れの悪い話し方で、なんとか紡ぐという有様だった。それでもそうして話してみて、いつもは「分かる」と同調してくれる(彼のそれが単なる帳尻合わせでない同意であることを、私は確信している)彼が、なんとなく口ごもるのを感じた。

そのとき私は、やってしまった、と思った。軋轢を埋めるための話で、さらに軋轢が深まるような心地がしたのである。その話はそのまま宙に漂って、別の話に移る中で霧消していった。どんどんどんどん溝が深まっていく、そのまま取り返しのつかない関係にまで発展するかのような、そういう不安を残して。そしてその修復も、こうした方法では却って逆効果であることを、私はなんとなく理解した。

 

考えてみれば、その軋轢自体が「根本的に同意を得難いこと」に由来しているのだから、こうした療法が適切でなかったのは当たり前である。でもとにかくその軋轢を言葉にしないままに放っておくと、そのままジワジワと関係に亀裂を作り、我々が互いを信用や信頼ではない「割り切り」で処理する嫌な大人になってしまうような不安があったのである。かつてはこれ以上ないというほどに心を許した人と、異なる場所で異なる道を歩む中で信条の上ですれ違っていくことになるのは、幼い私の心には許せない悲しさであった。それはどうにかして避けたいことであった(この点については、おそらく相手も変わらず同意してくれただろう)。では私はどうすべきだったのだろうか。

 

おそらく、私はそこで進むことで大人にならなければならなかったのだろうと思う。ここで大人になることを避けたのは、昔ながらの関係を保持したいという幼心の現れである。何らかの意味で昔の状態から変わってしまうことは、当時の関係が愛おしく尊いものであればあるほど心苦しい。だから私は、自分が一歩進んだことによってできた距離を、もう一度引き返すことによって埋めようとした。でもそうすべきではなかったのである。元の場所に戻るどころか、結果的には拡がった距離は倍になってしまった。

私はむしろ進んだ分のところから、幼心を慈しみつつ諫めなければならなかった。さらに前に向かうということを、場合によってはさらに距離を、特権性を押し拡げるということを目指さなければならなかった。きっとそうすることでしか、その全体を本当の意味で修復できるような観点というのは体得できないのではないか。

それはあいも変わらず畏敬や揶揄、嫉妬をそれとして感じ続けるということかもしれない。そのたびにまた私は突貫工事によってでもその軋轢を埋めたくなるだろう。私は敬われるような人間ではない、お前と同じだ、ということを言いたくなるだろう。その幼心も忘れるべきではない。それを忘れてしまったら、いよいよ私は偉くもないのに偉ぶる馬鹿で屑な大人に成り下がってしまうことだろう。そうではない、別の仕方での大人へ。幼心を慈しみ、しかし幼心として動くのではない、諫める大人へ。

そういうことを、帰路の車中で考えていた。