古都の道場 西向き間借り

まとまったことをちゃんと書くために。(まとまってないこと:Twitter→@Picassophia)

「日本哲学」にこだわる理由

今日は自宅に篭って自分の研究を進める日。と言いつつ、事務的なことを済ませたり、週末の準備をしたりと、結局この時間まで研究らしい研究ということができなかった。今から頑張るわけだが、すんなり研究に入る気にもなれないので、少し書いてみることにする。

 

自分は日本哲学、あるいは日本哲学史を専門にしている。

藤田正勝先生の『日本哲学史』を紐解くまでもなく、この専門領域はなかなか難しい問題をいくつも抱えている。そもそも「哲学」は唯一普遍であって、そこに日本とかフランスとかドイツとかそういう名前がつくのはおかしいのではないか、という根本的な問題から始まって、とりわけ西洋の伝統とは異なる伝統に成立してきた日本に、ギリシア以来の印欧語域を中心に発達してきた Philosophy を考えることなんてできるのか、という疑義が提出される。ロルフ・エルバーフェルト先生が「日本における哲学、日本哲学——20世紀の歴史哲学的観点」*1という論文でそういう話に触れていらっしゃるが、細かな問題はここでは置いておいて、私が「日本哲学」にこだわる理由を考えてみたい。

 

私は別に日本文化がとりわけ好きなわけではない。というより、日本文化や日本的という形容詞で装飾されたものにはむしろ忌避感を覚える。「日本」という国家的な統一体にさして興味がないからである。だから日本という形容を付すということにしばしば違和感を覚える。幼いころから書道を習って字を愛し、空手を通じて鍛錬を図り、仏教的なものに深い共感を持つ身ではあるが、いずれも決して「日本」的ではない。書は漢字文化の伝来としては中国由来であるし、空手も起源はそうで、本流は那覇手と言われるように沖縄であって所謂「日本」という国が焦点を当てる本土ではない(ここに「空手が日本のものだ」という主張における欺瞞があると思ってしまうわけだ)。仏教も言わずもがな、インドから伝来した外来宗教である。伝来舶来に拘らずに「日本」という主張をしようと思うなら、神道や皇国思想に行きつかざるを得ない。それがいかに狭隘な立場であるか、あるいは学問的中立性から言って「日本」という概念の内包に対する外延としていかに乏しいものであるかは言うまでもない。

 

こうして我々は、「日本」というものをもっと良い加減で適当なものとして考えることになる。涌井雅之が『いなしの智恵 日本社会は「自然と寄り添い」発展する』の中で「なにごとも止まらずに動いていること自体が日本人にとっては大切なのだ」ということを言っている。私はこれを国語科教員として指導の一貫で一部を読んだ限りで、全部を読んでいないから、実際上この本の評価をするわけではないのだが、主張としてはなるほどと思った。華美なものも好きだが、質素なものも好き。多様なものも好きだが、純粋なものも好き。二つのものの間を行ったり来たりするのが日本人の性状であるというこの見解は、ある程度的を射ている。しかし、だからどうした、という感想もまた出せる。この類の主張は「ケースバイケース」以上の事柄を我々に伝えてはくれない。「日本」的なものの耽美と称賛は、正直もうお腹いっぱいだ。それでは少なくとも私は充足できない。

 

日本とは何だろうか。そういう問いを哲学的に本気で提出したいと思っているわけではない。

半面そういうことに興味がないわけでもないが、これが私の「日本哲学」へのモチベーションというわけではない。もっと別のものが源になっていると思う。

 

私は日本語しか喋れない。英語もドイツ語もフランス語も下手だ。恥ずかしくて、とても人前で披露できるようなものではない。だから日々少しずつ努力はしてみているが、なかなか上達は見込めない。だから結局日本語で話すし、書くしかない。

哲学という営みは、思想形成と非常によく関わっている。だからと言って単なる思想は哲学ではない。このあたりを「日本」的な考え方で(私はこれを「日本的な論理」などとは口が裂けても言えない)、思想と哲学を一体的にうまいこと捉えるのが大事だ、みたいな話をしだす人とはそれ以上の話はきっとできない。論理というのは一でなければならない。そこに洋の東西があってはならないと思う。西洋的なものの見方、考え方というのはあるだろうし、同様に日本的、東洋的なものの見方、考え方というのはあるだろう。しかしそれを「西洋の論理」「東洋の論理」と言い出したらおしまいではないか、という気がする。西田は『日本文化の問題』で「私は西洋論理と云ふものと東洋論理と云ふものと、論理に二種あると云ふのではない。論理は一でなければならない」*2とはっきり述べている。このことの意味が再度よく考えられなければならない。だから哲学もまた、根本的な問題内容については答えは「一」でなければならない。我々というものが生まれ出でるところについての考察は、多様ではあり得ない。一でなければならない。そこに論理というものが考えられなければならないし、学問としての哲学というものの意義があると思う。それを「考え方、見方が狭い」と言ってとがめる人があるとすれば、その人こそよく反省した方がいい。耽美や順応に帰着する考えは娯楽的ではあっても学問的ではない。哲学は文学でも美学でもない。このことを誤解してはならない。西洋が合理的と言われるのは近代西洋が学問的だったからである。それに対して非合理的なものを日本の特色として賛美することは全く哲学ではない。東洋的なものの見方や考え方が非合理的なものを確かによく把握しているのは一面事実であるかもしれない。それは西洋的なものの見方や考え方が合理的に物事を把握するのに長けていると言えるなら、それと同じように言えることだろう。しかし、それだからと言って、東洋的なものが非合理的なものを大切にするとか、感情とか感覚的な生を謳歌するとかいうのは、あまりに思慮が浅いと言わなければならない。我々は、敢えて言うなら、東洋的につかまれた非合理性というものを、西洋的に彫琢していかなければならない。非合理でよい、というのは、己の浅ましさ情けなさをただ暴露してあぐらをかいているだけである。あまつさえ西田もそういう主張をしたと考えるなら、私はそういうものから西田を守らなければならなくなる。非合理なものへの欲動は、文明の未開に対する郷愁である。回帰である。ただ帰ればよいわけではない。そこには「進む」ということが考えられないからである。

 

だから私はもし「日本哲学」が一つの文化的楽園のように考えられているのなら、そこには全く賛同しない。日本哲学というのは、徹底されればこの現在である。今この瞬間に、日本中の哲学者が、あるいは海外における日本人研究者が、あるいは海外の日本哲学研究者が、日本哲学を形成している。つまり日本哲学というのは、もはやこの時代においては閉じたものではあり得ない。常にどこかで穴が開き、塞がり、そうして何らかの意味で総体的に捉えられるものにすぎない。そして私は、日本人がもっと全体として、深くものを考えることを促したい。無論これは究極的には世界中の人がそうなることを望むが、私にとってそういうリアリティはまだ薄い。一人の教育者として、日本語で育った子供たちがものを考えるということを助けたいと思う。日本語で育つ子供たちのための哲学というものがなければならない。それは日本という国家の形成に寄与したいという欲望とは個人的には無縁である。終身斉家治国平天下と言われるように、個人の形成は国家と呼ばれるものに何らかの意味で寄与をもたらすだろう。それは事実であろう。しかし私がしたいことは、あくまで一人の人間として生きざるを得ない労苦の世界に生きる日本語で育つ子供たちに、日本語で語り得る哲学というものを提示したいということである。この国には、まだそういう哲学がない。哲学は非常に重要なものであるが、それはなお「海外」のものという色彩が強い。外来の思想の遊戯に留まっているものも多い。自ら考えるという意味での哲学がまだ十分でない。

 

そういう意味で、どこまでも学問としての哲学の立場をとりつつも、それが「日本語」で行われるということにこだわるが故に、私は「日本哲学」を気に掛ける。これは断じて国家主義でも国粋主義でもない。ただ、我々が育つところには「言語」があるのである。日本語という言葉がある。我々は日本語によって日本的になると考えることもできる。そういう意味で言語は国家に先立つ。無論、現状の日本語が国家的に統制されたとかいった無粋な横槍もあるだろうが、我々が育つ言葉によって学問的に思想が形成されるということが、私の意図である。

*1:Rolf ElberFeld, "Philosophie in Japan - Japanische Philosophie: Geschichtsphilosophische Perspektiven des 20. Jahrhunderts". Polylog. Zeitschrift für interkulturelles Philosophieren., Bd.10/11, 2004.

*2:西田幾多郎全集』第12巻、岩波書店、1966年、p. 289。